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 《御満座荒れ》の「御満座」とは・・・   

 《御満座荒れ》の「御満座」とは何なのですか?――との問いに、“暦的観点に限って”お答えしておきたいと思います。(浄土真宗の教義に関わる部分については、「満座」の意味よりも「報恩講」の意味の方が大切でしょうし、そうなれば言うまでもなく私の手には負えないからです。)


 「御満座荒れ」の“満座”とは、浄土真宗の本山で親鸞聖人の命日を控えて一週間にわたっておこなわれる「報恩講」の最終日(満願日/満座日)のことである。報恩講の頃にやってくる冬の荒天のことをそれにちなんで「御満座荒れ」と呼ぶようになったのである。
 親鸞聖人は、《弘長二年十一月二十八日》に亡くなっておられるので、浄土真宗の大谷派(お東)では、旧暦時代のその日をそのまま、つまり11月28日を命日として年忌法要をおこなう一方、本願寺派(お西)では旧暦のその日をグレゴリオ暦に換算した《1263年1月16日》の1月16日を命日として年忌法要をおこなう。
 (余計な話だが、「弘長二年十一月二十八日」を〔1262年〕としているものが多い。が、これは誤りである。弘長二年はほとんどが1262年と重なるが、十一月二十八日はグレゴリオ暦では、年をまたいで〔1263年1月〕となる。)

 「鰤起こし」と同義で使われる初冬の「御満座荒れ」は、大谷派の報恩講の最終日(満座日)とその前夜(お逮夜)辺り――11月27日、28日――が「御満座荒れ」あたることになる。その一方で、本願寺派の報恩講の最終日(満座日)とその前夜(お逮夜)辺り――1月15日、16日――の荒天も「御満座荒れ」と呼ばれる。こちらの方は冬の真っ盛りである。
 なお、11月28日も、1月15日もデータ的には荒天の「特異日」だそうである。
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by kaguragawa | 2012-12-25 23:01 | Trackback | Comments(0)

「雪おろし」と「鰤起こし」(3)   

 きょうはまさに「はりせんぼ荒れ」の日となりました。朝方の雷に、風、雪・・・。JRの特急はほとんど運休。ところで、民主党の野田佳彦氏はいつ富山入りしたのか知らないが、偶然、JR富山駅前での氷雨のなかでの地元候補の応援演説に出会い、顔も見えない遠くからではあるが、しばし聴き入った。


 12月8日を「針歳暮」と呼ぶのがどの地域なのかはよくわからないが、「針供養の日」というのが一般的(全国的?)なのだろうか。Wikiによれば、12月8日におこなう地域と2月8日におこなう地域があるらしい。まさに「事八日(ことようか)」である。

 北陸の地といっていいのかどうか前田藩の領地というべきなのかも確認していませんが、この「針歳暮〔はりせいぼ・はりせんぼ(ん)〕の日に、日頃使っている針を針塚に納めて供養する本義の行事よりは、娘を嫁がせた家から嫁ぎ先の家に大福餅を届ける風習が今もおこなわれていて、さらに近所におすそ分けするのですが、その風習にあやかって?おすそ分けにあずからない家でも大福を食べたりするのです。
 そしてその日(の前後)が「荒天」になることから「はりせんぼ荒れ」ということばがあるのです。

 実はこうした風習にうとかった私は、――もう数十年も前のことではありますが――その当事者になってとまどったというか、こんな風習いつまで・・・と批判的に、

 (と、ここまで書いたところに、“売薬さん”が、こんにちわ・・・、もう、ア・ラ・トヤマーゼ?な日なのだろう。)


 *途中で中断してしまい、続きをうまく書けなくなってしまいました。完結していませんが、このまま掲載することにします。「はりせんぼ荒れ」の由来――さかな針千本と鰤の関連と「鰤起こし」――から三島霜川の脚本「鰤」のことなど、など、書く予定でしたが日を改めたいと思います。

 
 1941(昭和16)年12月8日、日本がアメリカとの戦争を始めた日、富山はどのような天候だったのだろうか・・・。
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by kaguragawa | 2012-12-08 17:06 | Trackback | Comments(0)

「雪おろし」と「鰤起こし」(2)   

 三島霜川の初期の作品「雪おろし」から、二か所引用します。“雪おろし”という語が登場する箇所です。(読みやすいように、現代仮名遣いに改めたほか少し表記を変えてあります。)


 “二三日前の夜更け、霙(みぞれ)混じりの暴風雨(あらし)が、戸毎の窓に吹き入ってからである。国境の山の巓(いただき)には雪が来て、寒暖計は恐ろしく下降(くだ)ってしまった。市中ではもう徐々(そろそろ)正月の支度に取りかかっているというに。(中略)
 それは北国の冬にはよく見受けられる、朝から曇った、鬱陶しい空合で。ちょうど正午頃に、ぱらぱらと時雨(しぐれ)て、すぐに霽(あが)って、冷ややかな日光(ひかげ)がうっすりと射して来る……、かと思うとまたたちまち苦り切ったように暗くなって、空には一面に古綿のような雲が漂っている。この国では『ゆきおろし』と名付けられた風が吹きまわって恐ろしく寒い日であった。”

 “お城跡の時鐘は今しがた十一時を打った。雪おろしと名づけられた狂風(あらし)が、一なぐれ、町から町へ吹き廻って、市中の常夜灯が今にも消えそうになっていた。大概の家では、宵の間(くち)から店の戸を閉めてしまって、市(まち)はまるで眠ってでもいるように寂然している。ちょうど乗合の赤馬車が一台、市端の方から破れるような響きを立てて帰って来た頃から、風の歇(や)み間歇み間に、サラサラ、サラサラと軒端に微かな響きがして、見る間に路上は白くなった。雪が来たので。”


 この文中の「雪おろし」は、風そのものである。“あらし”とルビを付された「暴風雨」「狂風」とともに、霜川は「この国では『ゆきおろし』と名付けられた風が吹きまわって恐ろしく寒い日であった。」、「雪おろしと名づけられた狂風が、一なぐれ、町から町へ吹き廻って、市中の常夜灯が今にも消えそうになっていた。」と、吹き廻る風として「ゆきおろし」を描いていて、「風の止み間止み間に、サラサラ、サラサラと軒端に微かな響きがして、見る間に路上は白くなった。雪が来たので。」と続けている。

 雪をもたらす冬の《雷》の別名としての「雪おろし」と、雪をもたらす、あるいは雪交じりの《強風》としての「雪おろし」――。漢字で書き分けるとするなら、前者は、「雪降ろし」であろうし、後者は「雪颪」であろう。が、この季節の雷は、強風をともなうこともあれば、風は、雷をともなうこともあろう。同じ時期の、場合には同時の気象現象として二つの「ゆきおろし」は互通する要素を多くもっているであろうことも推測されるが(というよりは実感だが)、風をともなわない冬の雷があり、雷をともなわない冬の強風もある。冬の雷としての「雪おろし」と、冬の強風としての「雪おろし」は、分けて捉えられるべき事象なのだろうと思う。

 ところで、霜川は、北國の冬ならではの強い廻り風として「ゆきおろし」を文中に紹介し、その作品の表題ともしたのだが、今日でも、富山でこうした冬風の異名として「ゆきおろし」が使われることがあるのだろうか。それと関連して私の頭に浮かぶのは、やはりこの雪国特有の気象事象としての「ごまんざあれ(ご満座荒れ)」である。あるいは「はりせんぼあれ(針歳暮荒れ)」である。どちらも「鰤起こし」の異名として理解されていて、実際そうなのだろうが、字義的にはこちらの方は冬の「荒天」を意味し、必ずしも「冬の雷」だけに限定するものでなく、範囲は少し広いように思われる。
(“空に雷、太鼓をたたきゃ、山はあられに海はぶり”という唄?の文句も思い出したのですが、話が広がりすぎるので、ここらで気象話題は閉じることにしましょう。)

〔追記〕
 私としては、霜川の作品中の《北國》について、書きたいことがあるのですが――この作品「雪おろし」が、作家生活三年目にして初めて舞台を「北國」という文字で明記した作品であり、意外なことに「北國」作品は、霜川の生地にもかかわらず決して多くない――、それは別の大きな課題として、後日。
 そうそう、この「雪おろし」が、「早月川」や「枇杷首(びわくび)」という富山固有の地名を登場させていること――ただし、該当地名と作中の場所は一致しない、つまり地名を借りた形にのみなっていること――や、「雪おろし」が「うたかた」「向日葵」「悪血」などの作品に姿を変えていく経緯や、登場人物「お小夜」がわずかな生活の糧をえるために従事している“花売り”についても、初めての公表作品「埋れ井戸」以降、なんども作品に登場していることも別の機会に・・・。
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by kaguragawa | 2012-11-16 22:28 | Trackback | Comments(0)

「雪おろし」と「鰤起こし」(1)   

 昨晩から今朝の明け方にかけて、ものすごい雷鳴が何度もとどろきました。と同時に、バラバラーッと大粒の雨や霰(あられ)の屋根に叩きつけられる音も聞こえてきました。当地(富山)でいう“鰤起こし”です。
 この季節ならではのもので、この冷たい風雨、雷とともに、北陸には本格的な冬がやってきます。この雷は、冬の序幕に天地に鳴り渡る大音響なのです。この雷鳴に勢いづけられてなのか、驚いてなのか、はわかりませんが、寒ブリが富山湾に一斉に?回遊してきて、氷見漁港を中心にブリの水揚げが始まるのです。

 ところで、三島霜川に「雪おろし」という作品があります。初期の作品であり、読む機会もなく、冬の屋根からの「雪下ろし」がテーマになっている作品であろうと、思いこんでいました。

 が、そうではなかったのです。私の予想を裏切ったのは、そのタイトルの意味だけではなく、この作品そのものの意味でした。(が、作品そのものの意味については、作品論などというものを書く能力のない私が余計なことは書かないこととして、――1.作品を読みもせずに、新聞連載の書きなぐりの愚作だろうと決めつけていたという私のお粗末さと、2.この作品の改作・改稿作に「うたかた」「向日葵(ひぐるま)」「悪血」などの注目作があることだけ記しておいて――、)ここでは、「雪おろし」という作品名になっている言葉の意味に限定して、ちょっとメモをしておきます。

 南国の方には実感しがたいことでしょうが、豪雪地帯(雪国)では屋根に数メートルの雪が積もります。その重さたるやすごいものです。そこで屋根の除雪=「雪下ろし」をするのです。しかし霜川の小説のタイトルになった「雪おろし」は、この「雪下ろし」ではありません。別の意味の「雪おろし」なのです。

 Wikipedeiaによれば〔気象現象としての雪おろし〕として、次のように説明されています。
“日本海側では晩秋から冬にかけて寒冷前線が通過すると、雷が発生しやすい。その中でも上空に強い寒気が流れ込んだ日に鳴る激しい雷のことを島根県、新潟県、山形県等では雪おろし(雪颪)と呼び、真冬の到来を告げるものとする。鳥取県等、地域によっては雪おこしなどとも呼ばれる。”

  Wikiの説明で留意すべき点が2つあります。Wiki氏は、「雪おろし」に(雪颪)の漢字をあてているものの、その〔颪〕の字義(山から吹き下ろす風)――六甲おろしや赤城おろし、伊吹おろし、比叡おろしなどの「おろし(颪)」――には触れずに、端的には〔雪おろし=冬の「雷」〕と定義していることです。
 もう1点は、この言葉が使われる例示に「島根県、新潟県、山形県等」とあって「富山県」が挙がってないことです。実際、私の富山県では、初冬の雷の意味で「雪おろし」ということばは、私の知る限りでは使われていません。ここに説明されている「雪おろし」は、“地域によっては雪おこしなどとも呼ばれる。”とある「雪起こし」のことであって、それは冒頭に書いたこの地ならではの「鰤起こし」のことなのです。富山では〔初冬の雷=「鰤起こし」「雪起こし」〕であって、〔初冬の雷=「雪おろし」〕ではないのです。


 そこで霜川の小説「雪おろし」ですが、このタイトルになっている「雪おろし」が、除雪としての「雪下ろし」ではなく初冬の気象現象としての「雪おろし」であることに間違いはないのですが、それは《雷鳴》をその表徴とする豪快な「雪おろし」でもなく、鉛色の空からの雪しぐれをともなう山からの《風》を表徴とする「雪おろし」なのです。

(続く)

〔追記:2012.11.15〕
 ちょっと追記を書き出したら長くなったので、【「雪おろし」と「鰤起こし」(1-2)】として、下に移しました。
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by kaguragawa | 2012-11-14 22:51 | Trackback | Comments(0)