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読み散らかし・・・から   

 いろんなものを読み散らかした夏休みでした。

 それでも表棹影の日記「まだ見ぬ君え」を――小林弘子『室生犀星と表棹影―青春の軌跡』収録文によって――再読(というか通読かつ精読)できたことは、うれしいことでした。
 余談ですが、日記中に「東都の鯨洋兄」の名を見つけて、半信半疑の思いをしました。私が知る「鯨洋」は、後に竹久夢二に関わった医師で歌人の岡田道一のことだったからです。岡田は和歌山県生まれで京都帝大医学部卒業ですから明治40年当時の「東都の鯨洋兄」に該当するのか、かなり疑問だったのですが、諸資料から岡田が一高を卒業して京大に進んだこともわかり(つまり京大生になる前の青春時代を東京で過ごしていたことがわかり)「鯨洋兄=岡田道一」の可能性が強まってきました。

 もうひとつ、驚いたのは、水守亀之助『続・わが文壇紀行』に、“堀田善衞の「二つの衝撃」(中央公論)で洩らしているように、文学者はもっと深いところを見て考えなければならぬ。”の文言をみつけたこと。
 明治・大正文学の語り部であるといってもよい水守が、戦後、堀田に言及していることにも驚いたのだが、堀田をこのように読んでいたとは(註:堀田「二つの衝撃」には「文学者はもっと深いところを見て・・・」の文言はない。)信じられないくらいの思いである。

by kaguragawa | 2016-08-15 22:16 | Trackback | Comments(0)

霜川の作品「向日葵」(1)   

 昨日の秋声墓前祭のあとの米田憲三先生の記念講演「三島霜川の生涯と秋声」のことを紹介する前に、同時代人がリアルタイムで三島霜川についてふれた文章を紹介しておきたいと思います。ここに登場する霜川の作品「向日葵」に注目しておきたいからです。

 その同時代人とは、《表棹影》――おもて.とうえい。本名、表作太郎、金沢の地で文学に志していた若者です。金沢時代の室生犀星の親友であり、犀星の『性に目覚める頃』にも登場し、“日は紅しひとにはひとの悲しみの厳そかなるには涙は落ちつれ」”という棹影の歌が紹介されています。
 そして以下に紹介するのは、1907(明治40)年に書かれた棹影の日記〔1月21日〕の一部分です。中央文壇で活躍する秋声や霜川など北陸の作家への醒めた注視が、印象的です。
 (現代表記に直したほかにも何箇所か表記を変えてあります。)

 21日

 纏綿として少女の忍び泣くような雨は万物の新生命を培うと降る。枇杷の花白し。
 数々泥に塗れた秋声の小説“黄金窟は昨日で漸と終結して霜川の“鶯屋敷”が北国紙に出た。とかくの批評は後日のことだが、“向日葵”の如な半途で尻切蜻蛉となるやつは今から御免だ。況んや二度のお勤めなるにおいておや、だ。
 十二月の「新声」を漸と取り出して読んだ。車前草社の詩稿なべて振わず。詩壇に泡沫の“鈴虫の歌”誦すべし。三木露風の歌、三誦飽かず。夕暮、春波の美文また読むべし。
 今夜は誰も来ず、外へも出ず。真面目に机の前に坐った。日記のペンの余瀝に詩を作りかけてみた。
 寒念仏がカンカン鉦を敲いてきた。哄、偽信仰者、哄、乞食坊主。ああ世を誤るものは汝らなるかな。不快な鉦の音はますます聞こえて止まぬ。
 

 引用は笠森勇編『表棹影作品集』(桂書房/2003.6)からですが、連載が途中で打ち切られた霜川の小説「向日葵」については、「不明」と編者注があります。


   *表 棹影  1891.01.26~1909.04.28

〔追記〕
 なお、棹影の生没年からもわかるように、彼は18歳の若さで亡くなっています。犀星の『性に目覚める頃』は歿後十年の棹影追悼作でもあったのです。

by kaguragawa | 2010-11-14 14:57 | Trackback | Comments(0)