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ハナミズキの実   

 いい句を読む楽しみは私にとって楽しいひと時ですが、みずから句をつくるという楽しみはありません。それでも俳句サイトにコメントを書かさせていただいた機縁で駄句をいくつかひねったこともあるのです。

 そのなかで出来は問題外ながら句をつくったことだけはしっかり覚えている、そういう瞬間があります。おじの葬儀のあと火葬場に向かう車中から見えた秋のハナミズキの細い独特の枝ぶりと赤い実がが印象的で五七五にしたのです。しかし、句をつくったことは鮮明に覚えているのにその句そのものが思い出せなくて自分でも情けなく思っていたのですが、偶然net友かわうそ亭さんのHPの過去ログの中に見つけました。
 自分のメモとして写しておきます。


   ミズキのミ幾何放射の枝に赤く付き  かぐら川

by kaguragawa | 2010-01-16 20:26 | メモ ひとこと | Trackback | Comments(0)

ことしも“福うめ”と“梅鉢紋”   

 ことしも“福梅”をおいしくいただきました。昨年、このお正月の和菓子“福梅”について書いたところ、なぜかこの日だけアクセス数がとても多かったことを思い出しました。

 昨年1月4日の「“福梅”--金沢・高岡」は、こちらです。 
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 上にリンクした記事から自分の覚えのために、「ウメバチソウ(梅鉢草)」の名のもとにもなっている前田藩の「梅鉢紋」についての拙メモを再々録しておきます。

 “菅原道真を祭神とする天満宮系の神社の「梅紋」――基本的に5弁が接している。本家本元の太宰府天満宮は「梅鉢紋」ではなく「梅紋」――も様々なヴァリエーションがあります。その中の「梅鉢紋(剣梅鉢)」は、むしろ加賀前田家が菅原道真を祖とするという伝承をオーソライズしたことによって、自家の紋を広く世に定着させたものと言われています。
 前田藩でも、本家加賀前田と支藩の富山前田家・大聖寺前田家では真ん中の部分が違います(「加賀梅鉢」「富山梅鉢」「大聖寺梅鉢」。さらに時代によっても細かなヴァリアンテがあります)。

 実は「梅鉢」の「鉢」とは何だろうと長い間疑問だったのですが、これは「鉢」ではなく「撥」(三味線などのバチ)を花蕊にかたどったことによって、その形も名前も生まれたもののようです。”

by kaguragawa | 2010-01-03 16:41 | いただくもの | Trackback | Comments(0)

「真珠湾」翌日の『たき火』   

 今年の冬はnet友の“やいっちさん”に多いに感謝である。やいっちさんのブログには日々の話題に身近な花がちりばめられていていつも楽しみに拝見しているのですが、そこにここ数年ほとんど意識してこなかった“サザンカの花”がふっと現われたのである。

 そのときコメントに次のように書かせていただきました。
 “やいっちさんに花便りをいただくと、身近に咲くその花が次々と目にはいってくるようになります。
サザンカも、やいっちさんのブログで「あっ、サザンカが咲いてるんだ」と知ったとたんに、翌朝いたるところでサザンカの花に出逢いました。なんと駅までの通勤路にもサザンカがたくさん咲いていました。きのうまでは気がつかなかったのに・・・。”

 多くの方――ただし、年配者に限る?――がそうだと思うのですが、サザンカがどんな花木か知らないうちに「さざんか」の名前は覚えてしまっているのではないでしょうか。そう、「♪さざんか、さざんか、咲いた道」の歌詞によって、さざんかの花は親しいものになっているのではないでしょうか。

 実はこの歌には、いくつかのエピソードがあります。雑学としてだけではなく覚えておきたいのが、この歌がNHKのラジオで初めて世の中に流れたのが、1941(昭16)年12月9日だということです。真珠湾への攻撃によって明確な端緒を開いたアジア・太平洋戦争の翌日に、当初の予定通りこの曲は放送されたのですが、3日目の12月11日――68年前の今日――には軍から圧力で放送にストップがかけられます。ものの本によれば「たき火は敵機の攻撃目標になる」とかがその理由だったとか。それが軍当局の直接の有無を言わさぬ談判によったものだったのか、内務省の筋からの婉曲なものだったのか、その真の理由はなんだったのか<ぜひ>知りたいところです。が、事実としてそれ以後戦後の1949年に再びNHKの番組でとりあげられるまでこの曲は消えてしまったのです。

 ところで、大人になってサザンカの花を知りこの曲がいっそう鮮明にこころに響いてくるようになったのですが、小学校でこの曲を習い覚えた頃は、“しもやけ、おててが もう、かゆい”の部分が妙に身につまされた記憶が私にはあるのですが、年配の皆さんどうでしょうか。平成のこどもたちにとっては「しもやけ」はもう死語なのでしょうが。

 〔追記〕この曲の歌詞の初出は「NHK子供テキスト」(昭和16年9月号)の「今月の歌」だという記述を見つけましたが、そうだとしたらぜひそのテキストを見たいものだと思います。現在の曲集にもタイトルもふくめほとんど全歌詞が平仮名書きで掲載されているのですが、曲中の「たきび」だけ「たき火」となっているテキストもあるのです。
 作詞の“巽 聖歌”さんのキリスト者としての生についてもちょっとメモを残したいのですが、いずれ・・・。岩手の詩人は啄木や賢治さんだけではないのです。

by kaguragawa | 2009-12-11 01:13 | メモ ひとこと | Trackback(1) | Comments(2)

えっ、そんなことが・・・!   

 日本国憲法の制定過程を調べようとした場合、まず第一に参考図書として挙げられるのが佐藤達夫氏の『日本国憲法成立史 (全4巻)』(有斐閣)だと思います。なぜならば佐藤達夫氏こそ当時の法制局部長~次長として、GHQとの交渉にもあたり現憲法の起草にも担当部局の現場担当者として関わった人だからです。そして後に法律立案の専門家として内閣法制局長官、人事院総裁を勤められることになります。私が法律専門官僚としての佐藤氏の名前を多少なりとも知っているのはそれなりの理由があるのですがそれはともかくとして、そんなことより、『植物誌』という著作もある筋金入りの植物愛好家としての方が私には親しい存在の方でもあります。(北原白秋に師事した歌人でもあることは、今日知ったことですが。)

 ところがです、きょう、思いがけないところでこの佐藤達夫さんの残された本の数々に出逢うことになりました。場所は高岡市立図書館の「佐藤家著作物コーナー」。「佐藤家」の著作物コーナーに、佐藤達夫さんの本があるのは当たり前のようで、まったくあたり前のことではないのです。佐藤達夫さんが富山ゆかりの人だとは聞いたことがありません。私にはこの佐藤著作物コーナーの前でしばらく茫然としてしまいました。
 なぜなら、「佐藤家著作物コーナー」は、佐藤孝志「前前・高岡市長」のコーナーのはず?であり、そこに佐藤達夫さんの憲法や法律の本、植物画集、歌集それに加えて達夫氏夫人雅子さんの料理エッセイなどがあるのは、前・前市長が達夫さんのごく近い縁戚であることを物語っていることになるのです。あわてて手に取った前・前市長の随筆集には、佐藤達夫さんが孝志さんの岳父にあたられることがしるしてあったのです。まったく「想定外」の両佐藤氏の取り合わせでした。

 法律の話題も、花の話題もまったく色褪せていない昭和37年刊行の佐藤達夫氏の随筆集『土曜日・日曜日』の紹介をしようとして前書きが長くなってしまいました。いずれまた。

by kaguragawa | 2009-10-03 23:56 | ひと | Trackback | Comments(0)

メモ、ヴォーリズの清泉幼稚園のことなど   

 草がおいしげった庭に出てみて暗然たる気持ちになりましたが、用水近くに秋らしくイノコヅチ、ヨモギ、アレチノギク、アメリカセンダングサ、ノコンギクを見つけて安心?しました。二上山の山裾からとってきたミズヒキを庭の一角に移植。

 19日の「金沢行」の記録として書いておきたいことがいくつもあるのですが、筆が重たく(?)後日の課題とします。(こういう断り書きを書いて、実行したことはほとんどないのですが。)
 きのう21日は、宮沢賢治の亡くなった日で、「陸羽132号」と賢治の詩「稲作挿話」のことについて書き始めたのですが、これも後日。

 ツユクサの学名《Commelina communis》にその名を残す17・8世紀のオランダの植物学者コメリン(コンメリン)〔Commelin, J. & C.〕について、やいっちさんのブログに古い記憶を確かめながら、書かせていただきました。
 彼らが園長を勤めたアムステルダム植物園は、オランダ東インド会社が世界中からもたらす植物であふれていたようです。
 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2009/09/post-2.html

 Bookoffで、『浅見光彦theComplete――華麗なる100事件の軌跡』(2004)、『奥の細道――芭蕉紀行三百記念企画』(別冊・山と渓谷/1989)を安価で購入。

 6月7日に、“金沢にヴォーリズの設計した幼稚園があることを、金沢の情報誌『そらあるき』で知りました。川上幼稚園と清泉幼稚園です。清泉幼稚園は今年の9月に解体されるとのこと。いずれにせよ、詳細は実見の上、報告したいと思います。”――と、旧日記に書いたのですが、清泉幼稚園はすでに7月に解体が始まっていたことを偶然新聞記事で知りました。
 解体に先だって一般公開がされたようなのです。残念ながら、ヴォーリズの建築の細部まで見ることのできる貴重な機会を逸してしまいました。この「清泉幼稚園」は、もとメソジスト派のカナダ夫人宣教師の宿舎が当時の金沢市尻垂坂3丁目14番地につくられた際〔1926(大15)〕、それに併設された幼稚園――「十四番幼稚園」と呼ばれた――が、名称を「清泉幼稚園」に変えて現在地〔金沢市橋場町13-17〕に移転新設したもので、このとき〔1950(昭25)〕ヴォーリズが設計したのです。ヴォーリズは来沢し、園舎の完成記念式に出席したとのことです。

〔追記〕
コメリン家の系譜はここからたどることができます;
http://www.commelin.nl/genealogy/descend.php?personID=I3&tree=com

by kaguragawa | 2009-09-22 23:50 | メモ ひとこと | Trackback(1) | Comments(3)

思いつくままメモいくつか(8月30日)   

 きのう書きもらした思いつきのメモをいくつか。

(その1)
 8月30日は、「たけくらべ」の(九)(十)が『文学界』に発表されました〔1895年〕。1月30日の(一・二・三)発表以来、発表日にその発表分を読むという試みをやってきました。(七・八)と(九・十)の発表の間に5か月も間があいていて、ストーリーを追うことはかなり難しいという気がします。一葉本人はこの連載をどのように書き継いでいたのでしょうか。
 それはともかく、8月末に発表された(九)と(十)はそれぞれに、一葉のすごさを象徴する名文です。

〔参考〕
 明治28年1月30日、『文学界』に「たけくらべ」の(一)から(三)が発表される。以来、樋口一葉の「たけくらべ」は1年かけてこの『文学界』に分載されることになる。以下は分載データ。

 1895(明28)年
  1月30日 (一)(二)(三)
  2月28日 (四)(五)(六)
  3月30日 (七)(八)
  8月30日 (九)(十)
  11月30日 (十一)(十二)
  12月30日 (十三)(十四)
 1896(明29)年
  1月30日 (十五)(十六)
 
   ※4月10日、「たけくらべ」は『文芸倶楽部』にあらためて一括掲載



(その2)
 8月30日は、先日ご紹介した賢治の文語詩「岩手公園」に“老いたるタピング”として登場するヘンリー・トッピングさんが亡くなられた日です。詩「岩手公園」が愛されている割には、そこに登場するタッピング一家と学生賢治との間にどのような交流があったのかほとんど注目されてないようです。賢治のキリスト教受容というテーマからも掘り下げられていいと思うのですが、私は「賢治と音楽」というテーマで、少しずつタッピング一家と賢治を追いたいと思っています。


(その3)
 通勤の道筋に咲く清楚な花。ハクチョウソウ(白蝶草)という名であることを、ほかの花の名を調べようと図鑑を繰っていて知りました。
 気のせいでしょうか、秋明菊が例年より早く花をつけているようです。

by kaguragawa | 2009-08-31 23:22 | メモ ひとこと | Trackback | Comments(0)