タグ:磯部四郎 ( 7 ) タグの人気記事   

谷口貴都さんの三回忌の日に   

 今日、三回忌を迎えられた谷口貴都さんの未完の遺稿となった「磯部四郎とその法律学――近代法学黎明期を歩んだ人々――」から、その稿のテーマについて語られている部分を写しておきます。

 本稿はこれら明法寮で学んだ人々、中でも磯部四郎、栗塚省吾、加太邦憲、井上正一、宮城浩蔵らの生き方を通して我国における近代法学の形成をたどることを目的としている。彼らは明法寮でブスケ、ボアソナードから法学を学んだ後、フランスに留学して本格的に法学、政治、経済等の近代的学問を学び取り、帰国後はそれを礎に日本の近代化に尽力した人々であった。これらの人々はこれまで講学で取り上げられることが少なかったが、日本の近代法学黎明期を築いた人々として忘れてはならない存在である。

 大きな意気込みをもって勤務先の大学紀要に書きはじめられた「近代法学黎明期を歩んだ人々」の像は、描き終わられることはありませんでした。きっと谷口貴都さんの遺志を継いでこうした若き志の明治人の正姿をかっちりと掘り起こし提示してくださる研究者の方が出てこられること期待大です。
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by kaguragawa | 2013-09-07 23:40 | Trackback | Comments(7)

谷口貴都さんの一周忌の日に   

 今日は谷口貴都さんの一周忌の命日となります。
 谷口先生が大学時代の恩師佐藤篤士教授の古希記念論文集に寄せられた論文「磯部四郎と東京専門学校――法学部の危機と磯部四郎」(2004)から、その冒頭の部分を紹介して先生を偲びたいと思います。
 ここに要約されている磯部四郎その人の研究が、谷口先生の果たされぬライフワークとなったのでした。

 磯部四郎がパリ大学での法学の勉学を終えて帰国したのは明治11年の12月であった。それより6年前の5年7月、磯部は井上正一、加太邦憲、熊野敏三、栗塚省吾、岸本辰雄、宮城浩蔵ら20名とともに司法省内に設置された法学校・明法寮に入学し、リベロール、ブスケ、ボアソナードから普通学(修辞、数学)と法学を学んだ後、8年8月ボアソナードの推薦を受けて、井上、熊野、栗塚ら7名とともにフランス留学に発った。それから3年半余、パリ大学において天賦の才力と日夜寝食を忘れての勉学の結果、磯部は10年8月にbachelier(法律得業生)を、11年8月にlicencié(法律学士)の学位を得て帰国の途についた。
 留学の疲れを癒す暇もほとんどないまま、磯部は翌12年2月には司法省判事を拝命、4月には司法省法学校促成科1期生に仏刑法・治罪法を講義、13年4月には民法編纂委員となり、以後23年の旧民法典の上奏に至るまでボアソナードの下で財産取得編と人事編の編纂作業に精力的に取り組む。その間、大審院の検事他を歴任する一方、23年には富山選挙区から第1回衆議院選挙に立候補し当選するが、間もなく議員を辞職し、大審院判事に転任。法典論争では断行派の先鋒として論陣をはる。25年以降は代言人として活躍し、5度に亘って東京弁護士会会長を歴任。この間43年には大逆事件の弁護にあたる。大正12年関東大震災で罹災し死亡。享年73歳であった。

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by kaguragawa | 2012-09-07 23:56 | Trackback | Comments(2)

“谷口貴都先生を送る会”   

 へやを出ると強いユリの匂いがかおってくる。“谷口貴都先生を送る会”でいただいてきた純白のユリである。

 ブログ「苗加+野村島=ひがしのじり」で今日、先生の送る会のあることを知り、参加させていただいた。いただいてきたユリのようにやさしくも峻烈な奥様のあいさつにはことばを失った。
e0178600_19524451.jpg  谷口先生が奉職されていた高岡法科大学についても近くにありながら、しかも気になりながら知らないことの多いことに自分の不明をはじる思いでした。先生はこの大学開設時からここにあって自らの職を、仕事を守ってこられたのだ。

 先日も書いたように先生とは何の所縁もなければ、お話したこともない、そんな私が“送る会”の場に足をはこぶことにためらいがなかったわけではない。が、もし病に倒れておられなければ、今頃はきっとお会いしていたはずとの思いで、こころの中で「先生有り難うございました」と、 黙祷のひとときに頭をさげご冥福を お祈りさせていただいた。先生とのつながりは、先生が一つの課題とされた富山の生んだ明治期の法律家・磯部四郎だけなのです。

 ここまで“先生”と書いてきて、実は違和感がないわけではありません。それは、谷口先生が私のいわゆる学校での「先生」ではないということに因るのではなく、なによりも私とほとんど年齢の違わない、しかもおそらく学生の時代は私と同じ気持ちで法律を学んでおられたのではないかという親しみからなのです。先生が自らの専攻として選ばれた古代のローマ法やそうした観点からのフランス、ドイツ、日本の民法の成立を歴史的に跡付ける作業は、ある理由から私にも親しいものだったのです。
 今も時折思い出し、生きる糧にもしている“法律家は論理をもって闘うのです”という言葉は、私が短い期間ながら教えを受けた――そして谷口先生も親しくされていたであろう――古代ローマ私法の研究者・吉野悟先生によって、骨身に叩きこまれたものだったのです。

 送る会の終了後、主催者の厚意によって先生の研究室が開放されていてそこを訪問させていたいた。
e0178600_19525969.jpg そこには私が大学時代から卒業直後に親しんだ多くの書が、「講座現代法」をはじめ「川島武宜著作集」や「戒能通孝著作集」だけでなく、世良晃志郎訳のマックス・ウェーバーの社会学や「内田義彦著作集」や先生のちょうど一週間前に亡くなられた歴史家の遠山茂樹氏の著作集もあった。おそらくほぼ同年齢であることから推察するに、先生も私と同じ頃に これらの本を熱い思いで、読まれたのではなかろうか。そしてそこには、吉野悟氏の『ローマ所有権法史論』や『ローマ法とその社会』も。
※写真は、送る会のしおりからお借りしました。


 今は主のいなくなった研究室の本はどこへ行くのだろう。法の歴史を学びたいと思う若い人たちに読み継がれることができたら先生もうれしいことだろう。

 微力ながら谷口先生の磯部四郎研究の跡追いをして、先生にご報告したいと思っています。
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by kaguragawa | 2011-10-09 19:34 | Trackback | Comments(6)

谷口貴都さんの訃報   

 今朝、地元紙を開いて驚いた。そこには高岡法科大学の谷口貴都さんの訃報を知らせる記事があったのだ。

 谷口先生にはお会いしたいとは思いながら面識のないままだった。富山県が生んだ明治時代の法学者で弁護士でもあった“磯部四郎”を新たに見直し紹介する中心となっておられた。先月も地元の放送大学の講演として磯部四郎のことを語られる予定だった(*)が、急病で中止とお聞きし、ご心配していた矢先だった。

 先生の専攻はローマ法であり、広くは法制史であり、民事法であった。そういう意味でもお聞きしたいことがたくさんあった。こころからご冥福をお祈りします。

  *8月20日(土)/放送大学/オープンセミナー 『富山が生んだ近代法学の巨星・磯部四郎』

〔追記〕
10月9日、「谷口貴都先生を送る会」が、氏の勤務先だった高岡法科大学のミレニアムホールで、行われるとのことです。
http://blogs.yahoo.co.jp/higashinojiri/52124414.html
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by kaguragawa | 2011-09-08 23:55 | Trackback | Comments(0)

ちょっとメモ:1/13   

 司法省法学校の一期、二期の主な卒業生を《ウィキペディア》の「法学校」の項から、写しておきます。

 先日(12/23)紹介した磯部四郎は第一期の卒業生ですが、第二期の卒業生の中には「大逆事件」に検事や判事として関わった人々が多くいます。ここに名前が挙がっていませんが、第二期生の中には、松室致のほかにも公判の裁判長・鶴丈一郎や判事・末弘厳石もいるようです。佐木隆三さんの『小説大逆事件』などに名の出てくる河村善益(当時東京控訴院検事長)も二期生です。
(中途退学者の5人は、なんとすごい顔ぶれでしょう。)


【第一期生】
磯部四郎 ――旧民法編纂者
一瀬勇三郎
井上正一
井上操 ――関西法律学校(関西大学)創立者
岩野新平
小倉久 ――関西法律学校創立者、初代校長
加太邦憲
岸本辰雄 ――明治法律学校(明治大学)創立者、初代校長
木下広次 ――京都帝国大学初代総長
木下哲三郎
熊野敏三 ――旧民法編纂者
栗塚省吾
杉村虎一
高木豊三 ――大審院判事、司法次官、貴族院勅選議員
橋本胖三郎 ――治罪法編纂者、東京法学社(法政大学)創立者
宮城浩蔵 ――明治法律学校創立者
矢代操 ――明治法律学校創立者

【第二期生】
梅謙次郎 ――民法・商法起草者、東京帝国大学法科大学長、内閣法制局長官、
         和仏法律学校校長、法政大学初代総理
松室致 ――検事総長、司法大臣、貴族院勅選議員、枢密顧問官、法政大学学長(第2代)
富谷鉎太郎 ――大審院院長、貴族院勅選議員、明治大学総長
秋月左都夫 ――読売新聞社社長
飯田宏作 ――東京控訴院判事、和仏法律学校(現法政大学)校長、東京弁護士会会長
河村譲三郎 ――司法次官、大審院部長、貴族院勅選議員
古賀廉造 ――刑法起草者、大審院検事・判事、貴族院勅選議員
田部芳 ――商法起草者、大審院検事、大審院部長
手塚太郎 ――名古屋控訴院検事長、長崎控訴院長 (手塚治虫の祖父)
寺尾亨 ――東京帝国大学教授
水上長次郎 ――関西法律学校第2代校長

*「賄い征伐事件」中途退学者
原敬 ――内閣総理大臣
加藤拓川 ――衆議院議員、駐ベルギー公使、貴族院勅選議員 (正岡子規の叔父)
陸羯南
国分青厓
福本日南
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by kaguragawa | 2011-01-13 23:48 | Trackback | Comments(2)

石川啄木の年譜より   

1911年1月

1月3日(火)
大逆事件の弁護人平出修(『スバル』同人)を訪ね、幸徳秋水が獄中で書いた弁護人(磯部四郎、花井卓三、今村力三郎)宛ての文書(いわゆる「陳弁書」)を借りる。

1月4日(水)
仕事始めで朝日新聞社に出社。夜、秋水の陳弁書を写し始める。

1月5日(木)
秋水の陳弁書を写し終える。
「この陳弁書に現れたところによれば、幸徳は決して自ら今度のやうな無謀を敢てする男でない。さうしてそれは平出君から聞いた法廷での事実と符合してゐる。」(「日記」)
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by kaguragawa | 2011-01-05 23:29 | Trackback | Comments(0)

大逆事件弁護人・磯部四郎のこと   

 今、わたしの眼前に一冊の本がある。『磯部四郎研究――日本近代法学の巨擘』(平井一雄・村上一博/編/信山社出版/2007.3)だ。この本の幾篇かの論文に目をとおして愕然とした。とりわけ出版人の渡辺左近さんの「出版人から見た磯部四郎の魅力」は、磯部四郎の輪郭を素描した好論で、目からうろこが落ちるような知見を与えてくれる。渡辺さんこそが、日本の市民法の定礎者としての磯部四郎の発見者だったのである。
 以下、その磯部四郎をめぐる感想的なメモ。

 磯部四郎の名前を知ったのがいつだったのか、はっきりと思い出せないのですが、以来わたしの磯部についての知識は「富山県出身の明治期の法律学者」といった漠然としたものであり続けました。その磯部四郎の名前を大逆事件の公判記録のなかで見つけて驚いたのは、ことしの6、7月のことだったと思います。何も知らず、何も調べずに、三流の法律学者と思い込んでいた私は、幸徳秋水らの弁護人のなかに磯部四郎の名前を見つけて、いささか、慌てました。
 かといって大逆事件の公判の記録を、という前にその記録の在り処かを、確かめそれに接する余裕もなく、日をすごしてきたのです。その事情は今も変わっていないのですが、もう一つ驚いたのが我が富山県の高岡法科大学で「富山が生んだ法曹界の巨人磯部四郎」というシンポジウム」(2005年12月10日)が行われていたという事実です。そして、最初に記したわたしの衝撃に近い驚きはこの時のシンポジウムを中心に編まれた『磯部四郎研究』によるものなのです。

 磯部の法学者、法曹家としての八面六臂の活躍の第一歩は、司法省法学校を第一期として卒業し、1875(明8)年にパリ大学法学部に留学し、1878(明11)年末に帰国したところから始まるのですが、そのときから憲法を頂点とする23年体制と呼ばれる明治期の近代法体系の創出にボアソナードのもと、みごとな法感覚でその法典編纂に深くかかわっていくのです。その学的業績については渡辺左近さんが、“磯部が他の司法省法学校卒業生に比べてきわだつ特徴は、法律学のほぼ全分野にわたって著作物を残したことである。このような例は、私の知る限り日本には存在しない。”“「日本の法律学は帝大三博士〔穂積陳重・梅謙次郎・富井政章〕から始まった」とする大雑把な認識は今後見直されていくことになろう。”と概括して言われるのにも驚いたのですが、なんと彼がイェーリングの『ローマ法の精神』の訳まで手掛けている(1888)ことも驚きである。
 何にもまして特言しておかねばならぬことは、磯部がフランス人ボアソナードより早く(1879)、自らの考えとして日本法への「刑事弁護人」の導入を力説していることである。民事弁護は認める一方、「罪をおかした悪人を弁護する必要など、どこにあろうか?」というのが、当時の法律関係者たちをも支配していた観念なのである。

 磯部が官界から法曹界にうつり大審院検事の職を辞し、「代言人」(弁護士)となったのが、1892(明25)年。そして18年後の1910(明43)年に、弁護人の一人として「大逆事件」に関わっていくまでの経緯については、その「大逆事件」にどのように関わったのかとともに、私にはまだまだよくわかっていませんが、少しずつ追いかけていけたらと思っています。・・・磯部が大逆事件の弁護人を引き受けた年齢よりまだ若いのですから。

〔追記〕
 幸徳秋水が、公判中(12月18日)に書いた「磯部先生、花井、今村両君足下。私どもの事件のために、たくさんな御用をなげうち、貴重な時間をつぶし、連日御出廷くださるうえに、世間からは定めて乱臣賊子の弁護をするとて種々の迫害も来ることでしょう。諸君が内外におけるすべての労苦と損害と迷惑とを考えれば、実にお気の毒に堪えません。それにつけてもますます諸君の御侠情を感銘し、厚く御礼申上げます。」ではじまる“陳弁書”を、リンクしておきます。
 http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/koutoku01.html
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by kaguragawa | 2010-12-23 23:23 | Trackback | Comments(3)