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漱石と南大曹   

 きょうは、夏目漱石の命日。ふと思い浮かんだのは、主治医・真鍋嘉一郎の要請を受けて、真鍋嘉一郎、宮本叔とともに漱石の最期の治療にもあたった南大曹のこと――。
 
〔参考〕
 夏目鏡子述・松岡譲筆録『漱石の思い出』から
 “容態がいよいよ険悪なので、真鍋さんも自分の相談相手にその道の先輩を呼んでいただきたいとおっしゃり、そこで宮本博士からお出でを願い、さらには南博士からもお越しを願うことになりました。いらした先生方も皆内出血ということに異議はありませんでしたが、その溜まっている血を出すのにどうしようかというのでたいへんでございました。”


 以下、徳田秋聲の「死に親しむ」を読んだ際につくったメモの中から、南大曹の「南胃腸病院」の部分を、写しておきます。

 医者である渡瀬ドクトルが患者として入院するほど信をおいていた病院で、「木挽町」の“川縁にある”胃腸病院といえば、夏目漱石の最期に際して消化器系の専門医として治療にあたった南大曹の「南胃腸病院」しかないであろう。
 長与称吉の「胃腸病院」にいた南大曹が、木挽町に開業(1915)し、震災後再建(1929)。再建の病院は、岡田信一郎の設計。作中にふれられている“畳敷きの間”は、長与の胃腸病院の様式を受け継いだ控えの間だろう。
 “彼”が診断を受けている“M―ドクトル”も、南大曹なのであろうか。

 南胃腸病院は、大曹歿後、大曹が理事を務めていた癌研究所の附属病院となり(1946)、現在は、跡地に銀座ブロッサムが建つ。

 ■南大曹:1878.03.31~1945.02.26 福島ニ本松生れ  南博(社会心理学)は長男。 

by kaguragawa | 2015-12-09 22:33 | Trackback | Comments(0)

思いがけぬ所で、出会った冨永徳磨   

 きょう、徳田秋聲記念館企画展「徳田秋聲らしからぬ!~しゅうせいとこどもむけよみもの~」に出かけました。まさに秋声らしからぬ、と思われる、作品やそれにからむエピソードなどが集められています。この企画展については、あらためて紹介したいのですが、今日はそこで出会った一冊の本のことだけ書いておきます。

 ナサニエル・ホーソン/富永徳磨訳『緋文字(ひもんじ)』1903(明36)年/東文館

 秋聲がホーソンのギリシャ神話(ミダス王伝説)をもとにした寓話「Golden Touch(何でも金になる話)」――私は未読――を「土耳古王の所望」として翻案していることに関連して一冊の本が展示してあったのである。(ちなみに、なんでも秋聲にはほかにも「幻影」や「少女の望」というホーソン原作の翻案があるのだと言う。)
 ここに冨永徳磨訳の『緋文字』について書いたのは、以前、この【めぐり逢うことばたち】(旧日記時代)に書いたことのあるのを思いだしたからなのです。秋声は知っていたか知らなかったかは不明ですが、この冨永徳磨訳の『緋文字』は、長老派キリスト教の牧師であった徳磨の金沢教会時代に訳された作品のはずなのです。

 冨永徳磨訳の『緋文字』の現物を予期もしていていなかった徳田秋聲記念館でみたことをきっかけに、旧日記に書いた冨永徳磨の関する記事を、例えば02/10/2008〔冨永徳磨と金沢〕のように、旧日記の日付を頭につけて再録しました。

 ・06/10/2006〔もう一つの指ケ谷町〕
 ・12/15/2006〔二人の詩人の見えざる出逢い〕
 ・02/10/2008〔冨永徳磨と金沢〕
 ・02/13/2008〔金沢香林坊にあった「金沢石浦町教会」〕

 この記事の下の「冨永徳磨」のtagをクリックしていただければ、「冨永徳磨」関連の記事をまとめて読むことができるようになりました。
 冨永徳磨については、旧記事にまとまりなく書かれている国木田独歩や八木重吉との関係だけでなく、金沢での西田幾多郎との交流や当時の四高生・加藤完治との交わりなども含め、《金沢時代の冨永徳磨》のことを掘り起こしてくださる方がおられればと思うのですが・・・。とても興味深いテーマのはずです。

〔追記〕
 〔ホーソン『緋文字』東文館〕は、国立国会図書館デジタル化資料で見ることができました。
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/874627
 それによるとこの本の訳者名は、内表紙には〔著者 富永蕃江訳〕となっている一方、奥付には〔訳者 富永徳磨〕となっています。
 なお、巻末に発行者のことばとして次のように記されています。;
「訳者蕃江君遠く金沢にありて伝道に従事す 平素文士の独立を尊び高邁の気を愛す故に先輩と雖も漫に加筆するを喜ばず 赤裸々を以て世波に投ずるを寧ろ優れりとす されば訳者素より其責を甘受する所ならんも発行者の不文或は訳者の意を充たす能はざる所あらんも知るべからず 故に江湖に対する本書一切の責任は全く発行者の責任なりとす 訳者幸に諒之   明治三十六年十一月三日」

by kaguragawa | 2013-07-21 19:50 | Trackback | Comments(0)