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タグ:堀田善衞 ( 38 ) タグの人気記事   

7月17日の伏木。   

 きょう、7月17日――。堀田善衞が生まれた日とのことで、伏木の堀田の生地を訪ねる。時間の制約があり、通称で「上町(かんまち)」と呼ばれるかつて(江戸時代~明治中期)まで廻船問屋が軒を並べていた通りの堀田家の跡をぶらついた後、堀田家が大正の末に引っ越した近くの小高い丘へ。

 ぜいたくな?話だが、この丘(一段高くなった海岸段丘上)で「鶴のいた庭」を読む。読み返すごとに、歴史のただ中にたたずむ作者の戦慄を感じさせる作品。

 堀田の生地である富山では、「鶴のいた庭」は堀田の郷里を描いた作としてよく知られ、短編でもあるので朗読などでもよく取り上げられるもの。富山に限らず、もっと広く読まれてよい(というか、(僭越ながら)堀田を知るには不可欠な)作品。7月17日の伏木。_e0178600_22392252.jpg


写真に写っている範囲(3軒分ほどの間口)が廻船問屋・堀田家の前面であった。

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海岸段丘上から。

かつてこの視角には「白壁の倉にとりかこまれた、屋根の上に小さな望楼のついた家(堀田家)」が眺められたという。



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by kaguragawa | 2020-07-17 23:02 | Trackback | Comments(0)

堀田善衞の『審判』から   

 今日、堀田善衞の会で、堀田善衞の『審判』の第一部、第二部の報告をさせていただいた。自分でも十分に読み切れていないことがわかっていながらの報告ではあったが、この小説の“周辺のことごと”の報告という形で、最低限の責めは果たさせていただけたかな、と思っている。

 広島に原子爆弾を投下したパイロットが、――偶然北極(グリーンランド)で知り合った憂情ある日本人科学者が、事情を知りつつ迎えてくれることになり、――解きえない償いの深淵をかかえたまま、氷川丸の船旅で日本に向かうことになる。ときは1959年深秋である。この年、日本は皇太子ご成婚のめでたい?年ではあったが、時の政府が安保の改定を前面に打ち出し、安保改定阻止の運動が巻き起こり、いわゆる60年安保に入り込む前年であった。

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 いくつもの問題群を内包するこの長大な小説の論評などわたしごときにできるはずもなく、これ以上の言及は避けるが、どうしても紹介しておきたい一節があり、この記事を書き始めた次第。
 昨今の香港の内戦状態を目の当たりにしている私には、この小説中の次の一節は、きびしい響きをもって聞こえてくるのだ・・・。


“恭助の存在が不気味な、水面下の暗礁のように見えてくる。その暗礁が見えて来たということは、すなわち“戦争”という船が動き出して来たということではないのか。それは直接戦争ではないにしても、少なくとも素肌の学生や労働者を傷つけたり殺したりしても、一向に責任をとる必要のない、権力という抽象物、しかも物凄く具体的なもののもつある種の合法性がそろそろと動き出して来ている、ということであろう。”

 引用最初の部分は、先行する部分を読まないと理解しにくいだろうが、「素肌の学生や労働者を傷つけたり殺したりしても、一向に責任をとる必要のない、権力という抽象物」という安保闘争を眼前に見据えて書かれた言葉は、香港の現状を心痛めて見ている現代の我々に、まっすぐに伝わってくるであろう、おそろしい文章である。

 ※写真は、堀田善衞全集(第一期)の『審判』を収めた一巻(第6巻)。帯のことばが、示唆にとんだ要約をしている。






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by kaguragawa | 2019-11-23 22:12 | Trackback | Comments(0)

久しぶりに伏木図書館へ   

 久しぶりに伏木の図書館(高岡市立図書館分館伏木図書館)へ。堀田善衞の長編小説『審判』の初出掲載誌である岩波『世界』を閲覧するためであるが、この伏木の地が堀田善衞の生地であることもあるが、歴年の『世界』が所蔵されているのが県内では、県立図書館とこの伏木図書館だけなのだ。しかも(たしか)、県立の『世界』が合冊されているのに、伏木は(昨日行ってみてわかったのだが)、一冊一冊が幸いなことにばらのままなのだ。

 『審判』は、岩波の総合雑誌『世界』に掲載〔1960.01~1963.03まで35回にわたって連載〕された後、同じく岩波から単行本として出版されたのだが、初出誌の雑誌と単行本に内容に違いがあるのかないのか、そもそもどういうスタイルで雑誌に掲載されていたのかも一見しておきたかったのだ。
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(初出誌と単行本の内容の違いについては、この膨大な量の小説について仔細に検討することは、短時間〔昨日・今日併せて5時間ほど〕では不可能なので、今回は断念したのだが、目についたところだけ言えば、エンディングの部分にかなりの書き換えがあることだけ、ここに報告しておくことにしします。それよりも、予想はしていたことだが、その予想を超えて「60年代前半」の安保改定をめぐる政治状況が、この岩波の総合雑誌に熱く反映していることにあらためて目を瞠ったこと、そしてこれも残念なことに、限られた時間では、こうした論説には目を通すことがまったくできなかったことも、記しておきます。)

 多少余った時間で、堀田善右衛門商店もふくむ廻船問屋が並んでいた伏木本町の「上町通り(かんまち・どおり)や丘の上の堀田家に立ち寄り、13時に帰宅。


(注)上の写真の右側4軒分ほどに堀田善右衛門商店の望楼のある豪壮な商屋(しょうおく)があった。


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by kaguragawa | 2019-11-10 14:33 | Trackback | Comments(0)

笠森勇『堀田善衞の文学世界』   

 うれしいことに、近日中に書店に並ぶであろう本を版元で先にいただいた。
 笠森勇『堀田善衞の文学世界』(桂書房)。

 パラパラっとページを繰ってのいつわらざる感想は「さすが!」。浩瀚な堀田の小説世界にくまなく目を通されたうえでの論評は読みごたえがあり、室生犀星や中野重治を核にもつ筆者の文学世界と呼応して、堀田作品がさらに広く文学世界に開かれ、私のような文学音痴には未知の知見に満ちている。

 たのしみながら急がずに読みたい。いずれにせよ、紹介者としてその任にたえない私ごときが言を重ねるより、とりあえず章題だけを紹介して、読者につなげることにしましょう。

  1 詩人堀田善衞の誕生
  2 芥川賞受賞、その前後
  3 独自の文学世界
  4 世界を見る文明批評家
  おわりに ――今、なぜ堀田善衞か

 簡素な装丁がその色合いと相俟って好もしい。
 


 堀田生誕100年の昨年には、社会思想の断面から堀田作品を深く縦断した水溜真由美『堀田善衞 乱世を生きる』(ナカニシヤ出版)が出、感嘆措く能わざる想いをしたが、今回は文学研究の側面からのものである。
 願わくは、次には歴史家の方の深い深い堀田論が世に出てくることを期待したい。


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by kaguragawa | 2019-10-02 21:53 | Trackback | Comments(0)

今日出会った「手記」という言葉   

 今日、偶然、堀田善衞のふたつの作品(『時間』『審判』)で“手記”という言葉に出会った。この二つの作品の根底にある一つの想いのことを考えていたまさにその時に、偶然にも同じ言葉をこの二つの作品に見つけ、ちょっと驚いただけのことだが、メモしておくことにした。

■『時間』
「しかしわたしはこの手記を、美に従うものとしてではなく、わたしの自由な(?)意志の詩として、書きのこしたい。」

 わたしは、『時間』の本文を「“詩”ですね」と感想をある研究者の方に語ったことがあるのだが、首を傾げられてしまった。だが、堀田がみずからが「自由な意思の詩」と書いているのだ。
 この箇所の直前にあのプラーテンの「美しきもの見し人は」の詩句が引用されていることも覚えておこう。

■『審判』
「ひょっとして、そのとき彼女が奪われたものは、外部の風景に対する遠近感だけではなかったかもしれなかった。彼女はこの恭助の手記を燃やしも捨てもしなかった。」
 
 戦場の凌辱行為と殺害行為をつづったこの手記――彼女(唐見子)が“燃やしも捨てもしなかった”この手記――が、『審判』の後の想外の展開に関わってくる。で、この恭助の唐見子宛ての手紙のような告白文?をどう呼んだらよいか悩んでいたのだが、堀田が「手記」と書いていてくれた。あっこれも「手記」なのだ。


 この二つの作品は、戦時の中国大陸での日本軍兵士の殺人行為をテーマにもっていることで関連しているのではなく、「史前/史後」というおそろしいまでに卓絶した歴史への眼差しを共有しているのだ。そこをもっとしっかり深く読みたい。


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by kaguragawa | 2019-10-01 22:29 | Trackback | Comments(0)

今度の三連休は堀田善衞days   

今度の3連休(11/23--11/24--11/25)は、なんと3堀田善衞days。
堀田善衞生誕100年。
堀田善衞の会、高岡市立博物館、高志の国文学館が、それぞれ異なった視点から堀田善衞の文学とその背後にあるものに迫ろうとしています。

★堀田善衞生誕100周年記念講演会 堀田善衞の会・富山大学人文学部共催
 富山大学人文学部2階第4講義室 11月23日(金・祝)、 午後2時~5時の 申込不要・無料
*水溜真由美「橋上の人、路上の人―『堀田善衞 乱世を生きる』の執筆を終えて」
*竹内栄美子「1950年代の堀田善衞―『時間』を中心に

★堀田善衞生誕100周年記念・朗読と講演の会 
 高岡市立博物館3階講堂 11月24日(土) 
*朗読「鶴のいた庭」から 朗読サークル「言の葉」 午後1時20分~
*講演と質疑応答「堀田一善さんに聞く」(講師:堀田一善、聞き手:野村剛)午後2時~4時
    

★文学講座と記念対談 
 高志の国文学館研修室101 11月25日(日) 午後2時~4時 申込必要・無料【受付終了】 
 *講演講師:秦剛、対談講師:紅野謙介「堀田善衞と上海


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by kaguragawa | 2018-11-22 21:29 | Trackback | Comments(0)

2冊の本   

2冊の本_e0178600_20053356.jpg

『巨人軍物語』
『河上肇の人間像』

 同じ人物が関わる異質な本2冊。
 『巨人軍物語』(スポーツ世界社/1949.4)には、日本野球連盟常任理事・野口務の名が見える一方、『河上肇の人間像 付 年譜・著作目録』(図書新聞社/1968.6)には天野敬太郎・野口務編の文字が見える。

 この野口務については高岡市立博物館の企画展「堀田一族と伏木」に紹介がある。野口務は、堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』で、主人公から“従兄(おにい)さん”と呼ばれる人物のモデルである。

 『巨人軍物語』の「序にかえて」には、たとえば、“戦後の再建以来、時代の波にのり、スポーツの王座を地位を占めた如き観あるわが日本野球は、一九四八年においては、社団法人の認可、株式会社の創立をおえ、家内工業的マニファクチュア的経営より資本主義的経営へ、すなわち封建的段階より近代的な段階への飛躍の基礎的地盤が、がっしり構築されたのである。”といった記述がある。河上肇の愛弟子の面目躍如?といったところ。
 この2冊の本は、見た目ほど異質な2冊ではないようである。

追記;
 言うまでもなく?、『巨人軍物語』の表紙をかざっているのは“沢村栄治”。沢村追悼に捧げられた雄姿。



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by kaguragawa | 2018-10-20 20:08 | Trackback | Comments(0)

伏木の高台から   

 ほぼ真ん中のギザギザの山が剣岳。その左にポコポコポコと三つの山がかたまって見えるのが毛勝三山。その前面にある横長の高い建物が「ケアハウス万葉の里」。その左の白っぽい建物が「伏木コミュニティセンター」。
その左に写真でははっきりしないが海(と対岸)が見える。その辺りが対岸の滑川から魚津。
 堀田善衞少年もこの高台(一宮台地の北端)から伏木の町並みと、日本海、立山に連なる山々、能登半島を何度も見たはずである。さらには、見えるはずのないシベリアをも・・・。
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by kaguragawa | 2018-10-06 20:13 | Trackback | Comments(0)

「今の日本の憲法はな、明治のお人たちの、血やら涙やらいのちやら」   

 先日、書いた赤旗事件は山口義三(孤剣)の出獄歓迎会でおこったものだが、この山口孤剣の名前を最近思いがけないところで、目にした。
 堀田善衞の『審判』に登場する不思議な老婆・郁子刀自――モデルは明治の自由民権に関わって生きた堀田善衞の伯母・郁子であることは明らかだが――の語りに、こうある。

「吉備彦にな、よく言うがや。今の日本の憲法はな、中江兆民先生や、名古屋の山口孤剣さんの『破帝国主義論』やら、黒岩涙香さんやら、幸徳伝次郎さんやらなんやらの、たんとたんとの明治のお人たちの、血やら涙やらいのちやらの苦労の、やっとかっとのことでみのったもんやがいね、おろそかに思うでないぞ、明治もんのわたしらにも、いまの憲法の方が教育勅語よりよっぽどありがたいがいね、気イ長うして読んでみられ、ありゃ明治の下積みのお人たちの苦労のたまものやがいね、ちうて吉備彦に言うても、ちょっこしもピンと来んらしかったがいね、ハハハ」

 山口義三は山口県の出身で「名古屋の」という意味が私にはわからないが、なぜか――知名度の低さを補うための堀田の親切心だろうか――著書の『破帝国主義論』までが挙げられている。
 それよりも、「明治もんのわたしらにも、いまの憲法の方が教育勅語よりよっぽどありがたいがいね」と自由民権の空気をよく知る老婆に語らせる堀田善衞の、明治の自由民権と現在の憲法とのつながりの指摘は、味わってみる価値のある、というよりあらためて深く検証する価値のある貴重な、ものではないか。

 なお、この伯母郁子は堀田自身が自伝的という小説『若き日の詩人たちの肖像』にも登場し、主人公の若者にやっかいな存在な直言婆さんとなること、堀田善衞ファンの方にはご存知のところであろう。

追記:“名古屋の山口孤剣さんーー”について;
『破帝国主義論』(1903)の奥付によれば、発行所である「火鞭社」の住所が「名古屋市武平町三丁目百六十九番地」であり、“発行兼編集人”と記されている山口義三の住所も、同様に「名古屋市武平町三丁目百六十九番地」となっていることによるのであろう。山口義三が名古屋に住んだことがないと断言はできないが、疑問である。確認は課題とします。








by kaguragawa | 2017-06-25 16:51 | Trackback | Comments(0)

堀田善衛『航西日誌』を読む   

 40年前の今日(1977.05.21)、堀田善衛夫妻スペインに向け横浜港を出発――ポーランドの貨客船クズニカでの船旅/ロッテルダム着港6月26日。

 “廻船問屋の伜として生まれた私には、船でヨーロッパへ行くことは生涯の――とは多少大袈裟ではあるが――夢の一つであったのである。”

 これから5週間、日記風に書かれた『航西日誌』を記された日付に合わせ毎日読んでいくことにする。

 なお、『航西日誌』は出航ちょうど一年後の1978年5月21日に、筑摩書房から刊行。
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by kaguragawa | 2017-05-21 20:51 | Trackback | Comments(0)