タグ:伏木のこと ( 14 ) タグの人気記事   

伏木港に入港する汽船。   

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きょうも午前中、伏木へ。船を見ずして、なんの伏木か、というわけで再訪(ほんとの理由は別)。ちょうど汽船が!、外港ではなく内港へ。三ツ浜汽船所属の“きんたい丸”。

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by kaguragawa | 2018-10-08 14:43 | Trackback | Comments(0)

伏木の高台から   

 ほぼ真ん中のギザギザの山が剣岳。その左にポコポコポコと三つの山がかたまって見えるのが毛勝三山。その前面にある横長の高い建物が「ケアハウス万葉の里」。その左の白っぽい建物が「伏木コミュニティセンター」。
その左に写真でははっきりしないが海(と対岸)が見える。その辺りが対岸の滑川から魚津。
 堀田善衞少年もこの高台(一宮台地の北端)から伏木の町並みと、日本海、立山に連なる山々、能登半島を何度も見たはずである。さらには、見えるはずのないシベリアをも・・・。
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by kaguragawa | 2018-10-06 20:13 | Trackback | Comments(0)

船絵馬? 船模型絵馬??   

 航海の安全を祈り、感謝するために神社に奉納された「船絵馬」。博物館などの北前船展示で見かけるのは、弁財(弁才)船と地元では呼ばれた和船の北前船を描いた船絵馬だが、今開催中の高岡市立博物館の企画展「堀田一族と伏木」展で、風変わりなものを見た。
 和船の絵馬ではなく《蒸気船》の奉納船絵馬。あまり精巧なものではないが、絵ではなく模型の船絵馬、いや船模型絵馬?。伏木古府の古府八幡社に奉納されたものだという。
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追記
 日本海交易の研究者であった高瀬保さんに「航海史を語る遺品 北前船の船絵馬と模型」という論考がある(北日本新聞:昭和50年3月11日)。その稿には、「新湊庄東の白山宮には、汽船の船絵馬がある。県内唯一のものであろう。」とある。
 とすれば、上の古府八幡社の絵馬は、高瀬さんもご存じなかった汽船絵馬ということになる。「新湊庄東の白山宮」とは、現在の射水市港町の白山宮。こちらの方は、模型ではなく、描かれた絵馬なのだろうか?。
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by kaguragawa | 2018-09-29 17:49 | Trackback | Comments(0)

「アイカメ」・・・藤井能三とデ・レイケ   

 なんとデ・レイケ(Johannis de Rijke)は、1891(明24)年、暴れ川常願寺川の治水工事に富山県に来た時、伏木港もおとずれ、藤井能三と会っていたのだ!。能三の『伏木築港論』(明治24年)に、このように登場する。

 今回富山県の水害検視として来県せし内務省雇工師和蘭人デレーケ氏の伏木港巡回を機として、右「アイカメ」の事を語り以て氏の意見を問ひしに、氏は海底の深浅及び大穴の個所等を試験したる後ち、未だ充分な調査を遂げざれども親部川は築港上最も必要なるものなりとて特に之を賞讃し、而して右「アイカメ」と称する深淵あるが為に多少の修繕を加ふれば如何なる大艦巨舶と雖も容易に川中に入るるを心得べく、其の費用は凡そ五拾万円ほど要するの見積りなれども愈々築港せんとするには、尚ほ充分に測量調査をせざれば能はずと言へり、されば伏木港民の口碑に伝はる「アイカメ」の深淵は氏の鑑定を得て倍々信を措くに足るのみならず、之が為めに如何なる蒸気船も容易に川中に入るを得べしと言うに至りては余は之を天与の地形と謂うも不可なかるべしと信ず。

追記:
 藤井能三とデ・レーケが「あいがめ」を話題に話し合ったとき、そこに同席していたのは誰なのだろう。そもそもデ・レイケを伏木に誘い、この出会いをセッティングしたのは誰なのか・・・。

追記:2016.05.02
 常願寺川砂防事業に詳しいMさんからご教示によると、デ・レイケに随行していた高田雪太郎の日記に、デ・レイケの藤井能三訪問のことが書かれているそうです。埋もれている資料に、大事なことが書かれているようです。詳細はあらためて報告します。
「歴史は忘れられた端役として存するのではない。人が思い出してくれさえすれば声を発するであろう」とは、伏木生まれの堀田善衞のことば。


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by kaguragawa | 2016-05-01 16:10 | Trackback | Comments(3)

「運動場に能三(のうそう)さん」   

 「運動場に能三(のうそう)さん」という歌を聞きました。伏木小学校で歌われている曲のようです。軽やかなワルツ調の曲でした。
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 聴き書きしたものなので改行や漢字使いなど原詩と違うかと思いますが、ここに歌詞を紹介しておきます。
 作詞者や作曲者については存じ上げません。ご存知の方があればお教えください。

 
   運動場に能三(のうそう)さん
   港や町見て立っている
   いつも前見て立っている
   やさしい目をして立っている

      けさ「おはよう」とごあいさつ
      「今日も元気でおやり」よと
      見おろしているよやさしい目
      だけどちょっぴりいばってる

        さっき「さよなら」したときに
        「のうそうさん」と呼んでみた
        おひげがピーンとはねてたよ
        だけどやっぱりやさしいね

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by kaguragawa | 2013-11-30 16:14 | Trackback | Comments(0)

初代の藤井能三像   

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 上は、初代の藤井能三の銅像。原型師は荒井秀山。
 (1922)
 左は、現在の藤井能三の銅像。原型師は米 治一。
 (1952)

 台座は、共通で吉田鉄郎。柔らかな線がすてきだ。

  〔追記〕
 実は昨晩、この像の記事を書いていて台座が吉田鉄郎の作だと知り、もう一度、ゆっくり見たくて今日も伏木へ。
 なお、この写真では読めないが真ん中の緑色の盤に書かれた「藤井能三」の字は松方正義のもの。
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by kaguragawa | 2013-11-24 14:28 | Trackback | Comments(2)

初冬の伏木街歩き   

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 いろんなことが気になり、急に思い立っての伏木探訪とあいなりました。
 写真は、伏木近代化に先頭的かつ戦闘的役割を果たした藤井能三の銅像。能三は、堀田善衛の祖父・善右衛門(善五郎)と同年〔弘化三年(1846)〕の生まれ。
 伏木小学校敷地の一画、能三公園に、伏木港を望んで立つ。

 伏木小学校は、堀田善衛の母校〔当時は、伏木尋常高等小学校〕だが、能三像(初代)は、堀田善衞が入学する3年前の1922年に創校50周年記念として建てられた。シルクハットを右手に持つ初代の像は戦時中に台座(吉田鉄郎の作)を残して供出させられ、これは二代目(1952年)のもの。
 なお、堀田善衛が在学した頃の校舎(男子校舎)跡はグラウンドになってい、往時の運動場が現在の校舎になっている。初代の銅像は、この旧校舎の前に立っていた。

 
 午前中は小春日和の好天。伏木の高台から立山連峰も眺めたが、そのころ真砂岳では大きな雪崩が起きていたころだ。
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by kaguragawa | 2013-11-23 19:47 | Trackback | Comments(1)

海波為めに鳴り、白鴎為めに舞ふ   

 今から100年前(1913〔大2〕年)の庄川改修工事にともなう伏木港築港工事の竣工式典の後の関係者のみの祝賀会での総務委員長(代理)のあいさつ文を紹介します。これを述べたのは《堀田善右衞門》、堀田善衞の祖父(累代でいうと曽祖父)にあたる善右衞門です。 

 本日を卜(ぼく)し茲に本築港竣成祝賀会を開催するは洵に欣喜に堪へざるなり。
 今や本港は各般の施設完備し海陸連絡の便一層顕著を加ひ、物資集散の度、年と共に増大するに至れる為め、本港民の享受する余慶も亦随て往旧の比にあらざるなり。是れ偏に本築港の完成は邦家交通上の一大進展たるのみならず、一面地方に於ける人文の啓発と、経済上の発展とを促進せし動機たりしに外ならざるなり。故を以て昨は当築港事業に努力せられたる官民諸氏を招請して賀式を挙行し、今又本港に関係浅からざる紳士諸君と共に此空前の盛式を行ふ。海波為めに鳴り、白鴎為めに舞ふ。衷心洵に喜ひの情に堪へざると同時に本港開発の貢献者たる藤井能三君の如き、既に物故して此歓を倶にすること能はざるは頗る遺憾とする所なりと雖も、君の遺蹟は永く之を伝ひて本港の発展に資するや疑はず。
 惟ふに本港の前途は実に洋々たるものあると共に、此海陸の要衝に当れる本港民の責務も亦決して軽しとせず。希くは、本港の利用開発に尽されんことを一言希望を述べて式辞とす。


 工事の竣工は1912年でしたが、式典は明治天皇の崩御があり翌年の1913年10月3日に行なわれたようです。本文中にあるように伏木港の近代化に尽くした藤井能三――善右衛門とほぼ同年のはず――もこの式典を目にすることなく、この年の4月20日にみまかっています。
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by kaguragawa | 2013-10-01 22:35 | Trackback | Comments(0)

自分の覚えのための写真   

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by kaguragawa | 2013-09-08 22:28 | Trackback | Comments(0)

伏木港まつりの日に   

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 今は道路位置も変わってしまっているが、上の写真、中央、少し奥に――黒い車の停まっているいるあたりから右側に――下の写真の商家があった。左の向うむきに立っている道路標識あたりに玉川に架かる橋があった。
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by kaguragawa | 2013-08-03 15:40 | Trackback | Comments(0)