人気ブログランキング | 話題のタグを見る

週末の初雪   

週末の初雪_e0178600_228455.jpg

 memo 五姓田芳柳に「藻谷伊作君息故民女真像」という作品がある。これは・・・。
 memo 稲垣篤(稲垣示の長男/堀田善衛の従伯父)と岸他丑(岸他万喜の兄)は富山中学の同期だっただけでなく、ともに東京外国語学校のロシア語科に進学しているのだ・・・
 memo 東京廻米問屋玄米品評会

# by kaguragawa | 2014-12-07 22:08 | Trackback | Comments(0)

田中清一『郷土と文学――富山出身作家とその作品』   

 富山の郷土文学の研究をされていた田中清一さんに『郷土と文学――富山出身作家とその作品』の著作があることは知っていたのですが、私の怠惰というか怠慢というか、今日まで閲覧する労をとらずにきました。
 私にとっては田中清一さんが、三島霜川研究の大先達であるにもかかわらずにです。

 昭和38(1963)年の大豪雪のさなかに書かれたものですから、著述後50年の歳月を閲しており、もちろんその後研究が進みあらたに発見された事実があり、研究史的には乗り越えられたところの多い本ですが、――そして体裁は“小冊子”で、今「小寺菊子」と「三島霜川」の項を読み終えたばかりですが――田中さんの事実に近づこうという気迫にワクワクさせられる本、です。

# by kaguragawa | 2014-11-29 14:36 | Trackback | Comments(0)

霜川、一葉を語る   

 きょう11月23日は、「一葉忌」。樋口一葉が24歳と6か月の生涯を終えてから118年。
 一葉忌にちなんで、三島霜川が一葉について書いているところを、あるエッセイから写しておきます。

 丁度鏡花氏の「夜行巡査」が現われると同時に、一葉女史の「たけくらべ」が文芸倶楽部に現われたと思う。――尤も「たけくらべ」はその前に文学界に連載されていたと思うが――この一篇が現われると、才名文壇を風靡して、一躍して、天才の名を博し、文壇諸公為めに顔色なしという有様であった。私も当時一葉女史の崇拝者で、女史の名が雑誌に出ると、大概その雑誌を買って読んだ。(中略)
 こうして、紅葉氏は無論の事、一方鏡花氏にも人気があり、また眉山氏も相応の人気があったといっても識者間の人気と認識は一葉女史に傾いていたようだ。


  ※三島霜川「私の文壇に接触した時分」から (「新潮」明治43年12月号)

 霜川が作家になりたいと上京し雌伏していた明治28・29年の頃を振り返った追想である。「たけくらべ」が「文芸倶楽部」に一括掲載された1896(明治29)年1月末の時点で、霜川は19歳。年末が近づく頃のあこがれの一葉の訃報には霜川も驚いたことだろう。
 なお、一葉歿5年後の1901年に――上京後それまでも本郷界隈を転々としていた霜川だが、徳田秋聲との弥生町での同居を解消し――霜川は、一葉が幼年を過ごした本郷6丁目の法真寺横の小路に寺の墓地を背にして住むことになる。
 ・・・一葉の幼年のことまで霜川が知っていたとは思えないが、一葉・霜川二人が本郷の赤門前の一画で偶然にも不思議な近接することになったことに、私はわくわくさせられる。

# by kaguragawa | 2014-11-23 17:37 | Trackback | Comments(0)

おおなゐ   

 けっこう長い間大きな横揺れを感じた。
 長野県北で震度6弱とのこと。

 大きな被害の発生していないことを祈る。

# by kaguragawa | 2014-11-22 22:18 | Trackback | Comments(0)

後を慕いて生きる   

 きょうは黒岩比佐子さんの命日。あすは徳田秋聲の命日。

 ということで、きのうは秋聲の『光を追うて』を拾い読みし、きょうは黒岩さんの『パンとペン』を第三章「“理想郷”としての平民社」まで読み進んで、どちらも何度となく読んでいるのに、初読の如くに迫り来て驚倒することたびたび。


追記
 講談社さん、文庫版『パンとペン』に誤植見つけましたよ!。といっても私の持っているのは、昨年出た文庫初版なので、もう訂正済みでしょうけど。
 そう言えば、『パンとペン』刊行時にいくつか誤植を見つけ、その直後に訃報に接することになるとも知らずに、黒岩さんにご報告した〔?〕のを思い出しました。・・・もう4年ですね。

# by kaguragawa | 2014-11-17 20:55 | Trackback | Comments(0)