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2019年の末に   


 2019年も残すところわずかである。今までこのブログに一年の振り返り―反省―といったものを正面から書いた記憶はないのだが、今年は、少し違う。もちろんここに縷々そうしたことをつづろうとは思わないが、進化も深化も皆無とは言わないが意に満たない端的に言えば悔悟の日を連ねてきた、という思いが強い。

 生は無限ではない、そんな思いも強い。
 与えられた多くの遺産をめいっぱい受け、わずかばかし創造に一歩を踏みだしたいと考えている。

by kaguragawa | 2019-12-31 23:56 | Trackback | Comments(0)

冬至に、こんにゃく???   

女房と雑談中に、えっ、と驚く話が。

灯油を配達してもらっている業者の方(Yさん)が、毎年、年末に“こんにゃく”を持ってこられるという。
初めて聞く話だが、もう何十年も前からのことだという。
「Yさん、お母さん(私の母)の知り合いの方だったらしいけど・・・。そんなに多くの量でもないし、なにか形式的なものだと、思うんだけど」

これって、お歳暮?

きっと、これは、「冬至こんにゃく」ないしは「年越しこんにゃく」を、一年お世話になった人に贈る習わしではなかろうか。
「冬至かぼちゃ」の風習はよく知られるが、「こんにゃくで、一年間の“砂出し”」という「砂下ろし(厄落とし)、砂祓い」の風習のようで、関東に広くみられるものという。

富山(広くは北陸)にも「冬至こんにゃく」「年越しこんにゃく」、さらにはその贈答の風習があるのかどうか、いろんな方に聞いてみたい。


追記:2019.12.22(冬至の日) 《「ん」のつく食べ物》
 冬至、といえば日が一番短くなり春に向けて日が伸びる「一陽来復」の日。最後で最初の日…。そこで、どんづまりの「ん」の字のついたを食物を、この寒の季節に食べて精をつけるそうです。
(夏土用に「う」の字のついた食べ物を食べる(ウナギ!)のと、対のようです。)

 「ん」の代表が「南瓜(なんきん)」の“かぼちゃ”ということになるそう。饂飩(うんどん)、蓮根、人参、銀杏、金柑、寒天・・・などなど。
 「こんにゃく」も、「ん」のつく食べ物!。


by kaguragawa | 2019-12-10 23:41 | Trackback | Comments(0)

『評伝 細川嘉六』出版記念対談から一週間、そして開戦の12月8日   

Nさんへ

 お便りを差し上げようと思いながら、雑事に紛れて今日になってしまいました。
 Nさんとお会いしたのは、ちょうど一週間前のこと。『スモモの花咲くころ 評伝 細川嘉六』出版記念対談《「泊・横浜事件」現代との対話》(会場は、朝日町の「紋左」本館)が終わって、会場最寄りの泊駅から富山に戻る、あいの風とやま鉄道の列車の中でした。

 列車のなかで、Nさんに、私が「今ほど、細川嘉六の会におられませんでしたか?」と声をおかけしました。Nさんを会場でお見かけしていたのでした。『評伝 細川嘉六』出版記念対談から一週間、そして開戦の12月8日_e0178600_22421888.jpg


〔写真は、会場で挨拶される小野新一さん〕

 そして、泊駅から富山駅までの45分間は、あれやこれやの話をしながら――その中には、米騒動のひとつの現場になった名古屋の鶴舞公園のことや、横浜事件で獄死した友人・和田喜太郎の追悼をみずからの作品『若き日の詩人たちの肖像』の中で果たし、「横浜事件・再審裁判を支援する会」の呼びかけ人にもなった富山県の出身の作家・堀田善衞のことなど、など――、楽しく過ごさせていただきました。

 Nさんが愛知県から細川嘉六を顕彰する会へ、はるばると富山県へ、しかもその親不知に近い県境の細川嘉六生誕の町へ来られたのに、その時、すぐには思い出せず話題にできなかったことがありました。
 今日、太平洋戦争の始まった日にあたる12月8日、そのことをふと思い出し、一週間前の言論弾圧への闘いのたいせつな時間をあたためながら、Nさんをふくむ皆さんへの感謝の気持ちも伝えたくて、パソコンに向かいました。

 愛知県からこられたNさんと共有したかったことがら、それは、戦前、権力の言論弾圧に断固として立ち向かい、Nさんの愛知県でその生を全うした“もう一人の北陸出身の言論人・桐生悠々”のことです。
 悠々のことは,権力に臆せずものを言った言論人として、とりわけ信濃毎日に社説として書いた「関東防空大演習を嗤う」ゆえの筆禍事件のことは、ご存じのことかと思いますが、少し書いておきましょう。関東地区で大規模に行われた防空演習(1933年8月)を、「帝都の上空に於て、敵機を迎え撃つが如き、作戦計画は、最初からこれを予定するならば滑稽であり、やむを得ずして、これを行うならば、勝敗の運命を決すべき最終の戦争を想定するものであらねばならない。壮観は壮観なりと雖も、要するにそれは一のパッペット・ショーに過ぎない。」と、正論を書いて嗤(わら)ったのですから、軍部、特高の圧力により信濃毎日の主筆として地位を失うことになったのです。そして、桐生悠々は、言論人としてのもう一つの基地であった「新愛知」紙の地・名古屋に居を移して、個人誌『他山の石』を、太平洋戦争開戦の直前の死期まで発行し続けたのです。

 第二次世界大戦の始まる前に悠々が書いた論説の先見性はどうでしょう。
私たちの戦慄に堪えないのは、第二の世界戦争は、第一のよりも、著しく残酷であり、非人道的であって、非戦闘員を引きくるめての、そして文字通りの各国国民を挙げての絶望的戦争であるだろうことである。各文明国に於ける人類は、これが為に、或いは終焉の悲劇を見るかもしれないとすら思われる。(中略)驚くべき近代的武器の発達のために、この第二の世界戦争によって、将来は戦われ得ないことを、少なくとも戦われてはならないことを、人類が最も痛切に感ずる時期が来るだろうと思う。」(『他山の石』第二年第十号/1935年5月)
 あたかも原子爆弾の投下とその後の世界状況が悠々には見えているようです。


 そして今日の報道の現状にかんがみて、ほぼ80年前に書かれた次の論説はどうでしょう。
新聞紙が一の営業に堕し来たった今日、彼らのほとんど全部がみずから生命を絶って、政府のいうがままに、甚だしきに至ってはその意に迎合して国民の意見及び利害を代表せず、いわんや国家将来の困難に想達せずして、唯々売らんかな主義をとっているので、この問題もまた一つの反古として棄て去られているが、良心ある新聞紙は甚だしい苦痛を感じていることだろう。」(『他山の石』第四年第十号/1937年8月)
 私たちは、大日本帝国の時代と相も変わらず、“政府の言うがままに、はなはだしきに至ってはその意に迎合して、国民の意見及び利害を代表せず――”そういう報道機関のありようを毎日のように見せられていますね。


 Nさん、いずれ、舞鶴公園や桐生悠々ゆかりの地・守山を訪ねて名古屋周辺にも足を運びたいと思っています。その折には、またお話をする機会があればと思います。

では。


by kaguragawa | 2019-12-08 22:44 | Trackback | Comments(2)

『スモモの花咲くころ 評伝 細川嘉六』出版記念対談   

『スモモの花咲くころ 評伝 細川嘉六』出版記念対談_e0178600_19492536.jpg
 きょう、『スモモの花咲くころ 評伝 細川嘉六』出版記念対談《「泊・横浜事件」現代との対話》に行ってきました。
(会場は、「紋左」本館)

 細川嘉六ふるさと研究会代表・金澤敏子さんと荻野富士夫さんとの対談。
 頭のなかでまとまりがついていないので対談の報告は見送り(会場の写真も撮り忘れました)、その代わりに会場に向かう前に立ち寄った大安寺の細川家の墓(嘉六が建立)の写真だけ載っけておきます。

 ただ、対談の最後が文字通り《「泊・横浜事件」現代との対話》となっていて、荻野富士夫さんの長年の研究をふまえた具体的なお話や金澤さんの事件関係者の方へのインタビューのエピソードから、現代に対峙していく心構えといったものが、愚鈍な私にも少し見えてきた・・・そんな気持ちをもって会場をあとにすることができたことだけは、ここに記しておきます。

 明日、12月2日は、『スモモの花咲くころ 評伝 細川嘉六』の“発行日”に設定された日だが、この初冬の日は、細川嘉六の命日。

 追記:墓の建立が「大正七年」となっていて、この年が この北陸の地から全国に米騒動が広がったその年であり細川嘉六と米騒動の縁のようなものをあらためて感じたことでした。

by kaguragawa | 2019-12-01 19:51 | Trackback | Comments(0)