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山本良吉の命日に――岸他万喜と山本良吉(2)   

 今日、7月12日は、前回の項で紹介した山本(金田)良吉の命日になります(1942[昭和17]年7月12日歿)。

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 ここでの話題の一人、岸たまき――。夢二ファンの方には多くを語る必要はないでしょうが、たまきは、夢二が絵画人生を歩み始めた若き日の同伴者で、夢二の戸籍上の唯一の妻です。離婚後、ついたり離れたりの愛憎ドラマが繰り返されますが、多くの女性との遍歴を重ねた夢二の最後を看取ったのも彼女たまきです。何より、美人画で知られる夢二の〈夢二式美人〉は、若き日のたまきをモデルとして描き始められたものであり、正式に絵を学ぶことのなかった夢二のアドバイザーであったとも言われています。たまきの初婚の夫が美術学校を出た日本画家であったことによるたまき側の絵の素養が夢二を助けたのだとも。

 しかし夢二の人生にからみついた恋多き女としてのみ描かれるたまき像が、たまきの人生をきちんと語っているものと言えるのか、大いに疑問です。夢二に出会う前のたまきはどんな女性だったのでしょうか。夢二と死別したのちの晩年のたまきの生はどんなものだったのでしょうか。

 たまきが生まれたのは、1882(明治15)年。たまき(他万喜)は、明治維新から十余年後に、もと加賀藩の地で司法の道に進んだ岸六郎左衛門(六郎)の娘として金沢町(金沢市)に生まれました。父の名前からもわかるように生まれは士族です。前回、紹介した山本良吉(金田良吉)が生まれたのも、岸家とほぼ同格の加賀藩の士族の家です。岸家も金田家も、金沢の小立野近辺にあった地縁によるのか、藩士として近い職務を担っていたのか、間にはいる‎人があったものか、岸六郎左衛門の妹・直(なお)が金田家の清三郎に嫁ぐことになります。そして、岸六郎左衛門(六郎)・順夫妻の三女?が「他万喜」、金田清三郎・直夫妻の三男が「良吉」なのです。

  *山本良吉(1871~1942.07.12) 母・直  =岸五郎右衛門長女
  *岸他万喜(1882~1945.07.09) 父・六郎 =岸五郎右衛門長男

 金田家の方は、武士の商法?として米穀商として維新を生きていくことになりますが、必ずしも順調ではなかったようで、金田夫妻を、司直の道に進んだ兄の岸夫妻が支援することもあったようです。そういうわけで岸家と金田家は親しい間柄を続けたようで、良吉は母の直に連れられてよく岸家に赴いたことを回想のなかで記していますし、野田山にあった金田家、岸家の墓に墓参したことを母との道行きの思い出とともに懐かしく振り返っています。

 では、このように親密な関係にあった〔金田家と岸家〕の〔良吉と他万喜〕。二人は、かなり異質なそれぞれの道を歩むことになりますが、従兄妹としては相親しく交わる間柄だったのでしょうか。10歳の年齢差で隣県で結婚することから生活を始めたたまきの方は、良吉のことは意識すること少なかったのではないでしょうか。
 しかし、若き日の二人のエピソードからは、相似た気質を感じることができるように思われます。それを文字にすれば「不羈」ということになるでしょうか。

 若き日の金田良吉の西田幾多郎、鈴木貞太郎(大拙)、藤岡作太郎らとの交友、師・北条時敬との交情については、あらためて書いてみたい。

〔追記〕
※7月12日は、鈴木貞太郎(大拙)の命日でもあります〔1870.11.11--1966.07.12〕。



by kaguragawa | 2019-07-12 23:33 | Trackback | Comments(0)

たまきの命日に――岸他万喜と山本良吉(1)   

 今日、7月9日は、このブログでなんどか話題にしたことのある岸たまき(他万喜)の命日になります(1945[昭和20]年7月9日歿)。

 その他万喜の命日の直前に、他万喜にかかわる新事実が判明しました。「新事実」といっても不明になっていたことを私が掘り出したわけではなく、たまきに因む一般に知られていない事実をある方から教えていただいたのです。そして、自分の不明を恥じつつ、思いがけないことを知り得たことを喜んでいる次第なのです。

 といっても、誰しもが、「えーっ、そうだったの!」という驚くといったものではなく、とてもマイナーな?話題です。

 たまきに関わる新事実は、ある人物に関わっています。その人物《山本良吉》のことを先に紹介しておかなければなりません。コトバンクに掲載されいる〔デジタル版 日本人名大辞典+Plus〕のよればこうです。
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山本良吉
1871-1942 明治-昭和時代前期の倫理学者,教育者。
明治4年10月10日生まれ。金沢の第四高等中学の教育方針をきらい,同級の西田幾多郎らと退学。東京帝大を卒業し,三高教授,学習院教授などを歴任。大正11年旧制武蔵高創立に参加し,昭和11年第3代校長となった。昭和17年7月12日死去。72歳。石川県出身。旧姓は金田。号は晁水。著作に「中学研究」「倫理学史」など。


 多少、金沢出身の明治・大正期の人物のことを調べたことがあり、また、ある人物の出身校として〔旧制・武蔵高校〕のことを調べたこともある私にとっては「山本良吉」はたいへん親しい名前なのですが、上の説明のなかに出てくる西田幾多郎に比べれば、山本良吉はたしかにビッグネームとは言えないかもしれません。しかしながら、魅力いっぱいのユニークな人物なのです。


 〔金沢湯涌夢二館)もあり、〔金沢ふるさと偉人館〕で山本良吉の顕彰をおこなっている金沢市にとっては、竹久夢二やその妻・たまき(岸他万喜)と山本良吉は、貴重な人材資源のはずですが、岸たまきと山本良吉という二人の金沢人のつながりが話題にされたことは、私の知る限り、今までなかったのです。

 ある方からさりげなくご教示いただいたびっくりするような事実、それは山本良吉と岸他万喜が、従兄妹(いとこ)であったという事実なのです。

  *山本良吉(1871~1942.07.12) 母・直  =岸五郎右衛門長女
  *岸他万喜(1882~1945.07.09) 父・六郎 =岸五郎右衛門長男

(続く)


参考《山本良吉》:
〔金沢ふるさと偉人館HP〕
https://www.kanazawa-museum.jp/ijin/exhibit/13yamamoto.html
〔武蔵学園のHP〕
https://www.musashigakuen.jp/ayumi/kinenshitsu/tenzi/ryakuden/ryakuden10.html



by kaguragawa | 2019-07-09 22:22 | Trackback | Comments(0)

中谷宇吉郎と木田金次郎の『北海道』   

 中谷宇吉郎と木田金次郎の共著で『北海道』(1960/中外書房)という本があることを知った。この二人にどのような接点があったのだろうか、この本にもこの本の成り立ちを語る文章はない。7歳ほど木田の方が年長だが、亡くなったのは同年1962年。二人の共通項はまさに北海道という大地と、強いて言えば有島武郎であろうか、それとも中谷にもみられる強い絵心だろうか。

 思いのほか安価な古書を見つけ購入したが、残念ながら箱は欠損だらけのぼろぼろ。なんとか本文は読めそう。〔前半が木田金次郎の絵(スケッチ?)と文。後半が中谷宇吉郎の文(一部」写真と文)〕

 私が、木田金次郎の名を知ったのは有島武郎『生れ出づる悩み』の主人公?としてだが、その後いくつかの出会いがあった。そして最近、中谷宇吉郎の晩年のグリーンランドの雪氷研究を調べる中で、二人の晩年に『北海道』という共著があることを知った次第。この本の二人の文章のなかに、二人の接点を記した箇所があるのかも知れない。時間を見つけゆっくり読んでみたい。

*なお、中谷宇吉郎と木田金次郎の共通項として「有島武郎」を挙げたのは、「中谷宇吉郎年譜」(『中谷宇吉郎随筆選集第三巻』(朝日新聞社/1966)に、
「昭和十八年(1943)五月、ニセコアンヌプリ山頂の着氷観測所完成。昭和二十年(1945)八月終戦、ニセコの着氷観測所を解体。家族をニセコ山麓の有島農場に移す。」とあることによる。


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〔追記〕

 木田金次郎美術館の2012年秋冬展示で「木田金次郎と中谷宇吉郎」展があったようだ。


by kaguragawa | 2019-07-06 20:32 | Trackback | Comments(0)