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めぐり逢うことばたち(exblog版)   

・2003年5月以来の日記版「めぐり逢うことばたち」  (web上から消滅)
・2009年6月29日までのブログ版(cocolog)「めぐり逢うことばたち」

      
  “伝記研究に際しては、いかなる調査も中途で放棄することこそ戒心すべきであろう。”
                                       野口冨士男

  “身ビイキなしに特定の古典について何がなし得るか。”
                                       堀田 善衞

 *右上の写真は、二上山(高岡市)

〔追記〕
三島霜川について旧日記上に書いた記事は、閲覧できなくなりましたが、近いうちにこのブログに移す予定です。(2011.75)

●このexblog版「めぐり逢うことばたち」上の三島霜川関連記事は、〔ここ〕です。

★かぐら川が管理人となっているブログ「夢二を歩く」は、〔ここ〕です。
★かぐら川が管理人となっているブログ「堀田善衞を読む会 」は、〔ここ〕です。
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by kaguragawa | 2018-12-31 23:55 | Trackback | Comments(17)

『夜の森』   

 何か月も堀田善衛の小説『夜の森』と格闘?してきて、ようやく堀田善衛を読む会での報告を終える。予想はしていたことだが、肩の荷をおろした気分にはなれない。

 シベリアから帰った主人公・忠三は満期除隊を迎えると、梅毒に冒された想い人芙美江を引き取り、ともに新たな生を営み始めるのか。憲兵同伴という半拘禁状態で帰国することになった忠三に、それは可能なのか。

 一兵士としてウラジオストックからシベリアに上陸した当初、農家の三男で呉服屋の手代だった忠三は「内地で再び紺の風呂敷包みをかつでまわることはアホらし」く思われ、「満期除隊のあかつきには、ブラジル満蒙シベリアへでも出」て一旗揚げようと思っていたのだ。が、しかし、帰国直前の日記には「満期除隊したら黙って働こう」と記す。彼のうちで何が変わったのか・・・。その彼にはどのような生が用意されているのか・・・。
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by kaguragawa | 2018-07-28 20:13 | Trackback | Comments(0)

原敬は100年前の今頃、富山にいた   

 パソコンの中の伏木関係資料を整理していたら、偶然、100年前に富山を訪れた際の原敬(当時、政友会総裁)の日記と紀行文の写しが出てきたので、掲載しておきます。富山県東部各地の漁村に“米騒動”がおきる数ヶ月前である。
 なぜ、こんなものが手元にあるのか記憶がさだかではないが、文中にある「日方風」が、その原因?であろう。富山独特?の風「ヒカタイ」のことを調べていたとき、富山県を訪れていた原敬の紀行文のなかに「日方風」を見つけ、驚いて写したのであろうと思う。
 今、原典に当たりなおす余裕がないが、日付がだぶっているのは、前半が日記で後半が紀行文「北より南」ではなかろうかと思う。

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大正7年5月4日

 午後8時、上野を出発して富山に向かう。

   送りける春にも遇はん越の旅

5月5日 

 途中で、昨夜大風雨であったということを聞いた。
 午前9時50分富山着、富山ホテルに投宿した。
 富山県知事井上孝哉氏から午餐に招かれた。
 午後、呉羽山公園に往き、四方を眺めた。
 晩に官民会同の歓迎会に出席した。

5月5日

 越後海岸で夜が明けた、昨夜暴風雨であったいうことで、雨は晴れたが、空気がとても冷めたい。

   小袖着て過ぎぬ葉桜茂る駅

 午前9時50分、富山に着いた。井上知事から午餐に招かれた。午後、呉羽山の公園に上って越中の平野を眺望し、夕刻、旅宿の富山ホテルに帰った。

   暮遅き野や蕭然とくれは山



5月6日 

 午前、北信八州大会に出席し、演説をした。
 富山市長から午餐に招かれた。
 午後売薬製造会社(50万円)廣貫堂を一覧した。
 私は出席しなかったが、午後の公開演説会は盛況であったそうだ。晩に我が党の大懇親会を開らき私も出席した。

5月6日

 午前、北信八州大会に出席して演説をした。稻垣市長の午餐に招かれ、午後は有名な売薬製造所である廣貫堂に行って、製薬の有様などを見た。

   薬干す庭に親しむ羽抜鳥

 夕方、大懇親会に出席し、宿に帰ってから更らに井上知事の晩餐に招かれたりして深更まで過ごした。
 この日は、西の風で雨が晴れ、雪を戴く越中の霊峰立山などが見えた。方言で、西風を「日方風」という。

   青葉越しに立山晴るゝ日方風



5月7日 

 午前7時40分富山を出発し、高岡に行き前田2代の廟所である瑞龍寺及び繁久寺を見た。如何にも壮大な墓所であった。伏木港に赴き一覧した。

その後、公会堂での町民歓迎会に出席した。
 高岡に戻り陳列所を一覧し、有志者から午餐に招かれちょっとした演説をした。
 4時17分高岡発の列車で金澤に向った。
 午後5時過ぎ金澤に着、旅宿に行かないで官民合同の歓迎会に出席して演説をした。(出席者170~180名)
 土岐石川県知事から晩餐に招かれた。古今亭に投宿した。

5月7日

 午前7時40分、富山を出発して高岡に着いて、伏木行の汽車を待合せたが、時間があったので、鳥山市長の案内により、前田家2代の当主利長の菩提寺である瑞龍寺に参詣した。
 多くの伽藍は跡かたもなかったが、山門や本堂などは如何にも壮嚴にして、往時を偲ばせるものであった。また、繁久寺にある利長の墓所を見た。

これまで多くの大名の墓所を見たが、このような壮大なものは見たことがない。利長の伝説などを聞き、また墓石の様子などを見て、感慨無量であった。

   樹古りて墓石の寂びや苔の花

 高岡から伏木に行き、港内を一覧し、町の有志から招かれて公会堂で休憩して高岡に帰った。 
 高岡の物産陳列所などを見てから、官民有志の午餐に招かれて演説をした。
 午後4時17分、金澤に向った。
 この地方の農家の周囲には必らず樹木を植えている。これを「カイナ」と称し、家の宝として、容易の事では伐採しないと聞いた。

   傾ける軒にカイナの茂りかな

 金澤に着いたら、官民有志から直ぐに歓迎会に来てほしいといわれ、停車場から旅装のまゝ北間楼に行き、ここでも演説をした。土岐知事等から鍔甚での晩餐会に招かれなどして、10時過ぎ、旅宿の古今亭に入った。



5月8日 

 9時40分金沢を出発し、午後5時過ぎ京都に着いた。


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by kaguragawa | 2018-05-07 21:39 | Trackback | Comments(0)

ながらくのごぶさた   

 自由に使えるパソコンが手元にないため長らくのごぶさたである(当分今後も)。まだこの世に在籍していることだけを、報告しておきます。

 最近、小さなわくわく、大きなわくわく、がいくつか続いたのが、残念ながら記録しないままになってしまった。

 追記:
 今、わくわくしながら読んでいる本の紹介だけでもしておきましょう。「わくわく」といっても、池内さんの行き届いた筆致にわくわくしているのであって、その悲痛な時代に心が弾んでいるわけではありませんが。
 池内紀『闘う文豪とナチス・ドイツ—―トーマス・マンの亡命日記』(2017.8)
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by kaguragawa | 2018-05-05 19:16 | Trackback | Comments(0)

ちょっとメモ――川角捨兵衛のこと   

 「へるん」(1991-№2〔28号〕)に染村絢子さんの書かれた川角捨兵衛(かわすじ・すてべえ)情報があるので、川角の履歴の部分を、メモしておきます。

 “川角捨兵衛は、松江市中原の出身で、ハーンの松江時代の教え子である。のち同志社に学び、京都、新潟、糸魚川、金沢の各中学校で教鞭をとった。”
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by kaguragawa | 2017-11-20 22:17 | Trackback | Comments(0)

雨のなかの秋聲忌   

 今年の秋聲忌は、雨。私がどういう資格でか、――毎年のように繰り返すこの問いに答えられない自分がいるのですが――参加させていただくようになってから、初めてのこと。

 さすがにこの雨では墓前祭というわけにいかず、静明寺の本堂で。

 タケさん(秋聲の母親)の葬儀も、当時も今もおそらくあまり変わっていないであろうこの本堂でおこなわれたのであろうと、読経の声を聴き造作を眺めながら、考えていたことでした。
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by kaguragawa | 2017-11-18 22:16 | Trackback | Comments(0)

ありがたい、ありがたい。   

 このことはKさんにお願いするしかない、今日メールして頼んでみようと思っていたら、なんとそのKさんにばったり。

 「『横浜事件・再審裁判を支援する会 会報№1』をお持ちであれば、コピーをしていただきたいのですが」という、要件。
 しどろもどろにあって、「横浜事件の・・・、会報・・・、あの再審裁判の・・・。」と言ってる間に、いや、言い終わらぬうちに、「わかりましたよ。」と一言。

 ありがたい、ありがたい。
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by kaguragawa | 2017-11-17 22:37 | Trackback | Comments(0)

西田幾多郎、帝大在学中の下宿先   

 西田幾多郎の帝大哲学科選科在学中(1891~1894)の下宿先が、上杉知行『西田幾多郎の生涯』(1988)に紹介されているので、メモしておきます。

・本郷区台町六 日吉館
・本郷区森川町一番地 荻野方
・本郷区森川町一番地三百六十二号
・牛込区新小川町二丁目八番地
・小石川区久堅町二十二番地

〔追記〕
 上記のうち、本郷区森川町一番地三百六十二号は、私のこのブログの5年前の記事に幾多郎が明治25年〔1892〕9月に住んだ場所として「本郷区 森川町一番地 新坂三六二」の表記で紹介されていました。
 そういえば、森川町一番地新坂にちなんだ番地をいくつか書いた記憶はあるのだが、そのときの幾多郎情報はどこで見つけたものなのか、思い出せない・・・。
 http://kaguragawa.exblog.jp/18823853/
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by kaguragawa | 2017-11-11 16:11 | Trackback | Comments(0)

ちょっと手すきな時間に   

 自分が自由に使えるパソコンが無くなったのが一番の理由だが、このブログへの書き込みもほとんど、しなくなった。
 不思議なもので、女房からパソコンを借りることができ、時間の余裕のある場合であっても、そしてちょっと報告したいことやおもしろい話題があっても、今までのように書き出すことが、なかなかにできない。

 なにはともあれ、「週一」、なにかの記録を――自分のためにも、そして、かぐら川的「知」を共有してもらえるかも知れぬ人に向かっても――残したいものと思っています。
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by kaguragawa | 2017-11-04 17:49 | Trackback | Comments(0)

見つかったもの。   

 ある本を探して、書庫?納屋?をごそごそやっていたら意外な本やら物やらがいくつか出てきた。

 1987年5月発行の臨時増刊・岩波文庫創刊60年記念「私の三冊」もその一つ。
 有り難かったのは、岩波文庫の木下杢太郎『百花譜百選』。描かれた日付と短い身辺雑記があまりにも、切ない。

 
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by kaguragawa | 2017-10-16 22:36 | Trackback | Comments(0)