めぐり逢うことばたち(exblog版)   

・2003年5月以来の日記版「めぐり逢うことばたち」  (web上から消滅)
・2009年6月29日までのブログ版(cocolog)「めぐり逢うことばたち」

      
  “伝記研究に際しては、いかなる調査も中途で放棄することこそ戒心すべきであろう。”
                                       野口冨士男

  “身ビイキなしに特定の古典について何がなし得るか。”
                                       堀田 善衞

 *右上の写真は、二上山(高岡市)

〔追記〕
三島霜川について旧日記上に書いた記事は、閲覧できなくなりましたが、近いうちにこのブログに移す予定です。(2011.75)

●このexblog版「めぐり逢うことばたち」上の三島霜川関連記事は、〔ここ〕です。

★かぐら川が管理人となっているブログ「夢二を歩く」は、〔ここ〕です。
★かぐら川が管理人となっているブログ「堀田善衞を読む会 」は、〔ここ〕です。
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# by kaguragawa | 2018-12-31 23:55 | Trackback | Comments(17)

2冊の本   

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『巨人軍物語』
『河上肇の人間像』

 同じ人物が関わる異質な本2冊。
 『巨人軍物語』(スポーツ世界社/1949.4)には、日本野球連盟常任理事・野口務の名が見える一方、『河上肇の人間像 付 年譜・著作目録』(図書新聞社/1968.6)には天野敬太郎・野口務編の文字が見える。

 この野口務については高岡市立博物館の企画展「堀田一族と伏木」に紹介がある。野口務は、堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』で、主人公から“従兄(おにい)さん”と呼ばれる人物のモデルである。

 『巨人軍物語』の「序にかえて」には、たとえば、“戦後の再建以来、時代の波にのり、スポーツの王座を地位を占めた如き観あるわが日本野球は、一九四八年においては、社団法人の認可、株式会社の創立をおえ、家内工業的マニファクチュア的経営より資本主義的経営へ、すなわち封建的段階より近代的な段階への飛躍の基礎的地盤が、がっしり構築されたのである。”といった記述がある。河上肇の愛弟子の面目躍如?といったところ。
 この2冊の本は、見た目ほど異質な2冊ではないようである。

追記;
 言うまでもなく?、『巨人軍物語』の表紙をかざっているのは“沢村栄治”。沢村追悼に捧げられた雄姿。



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# by kaguragawa | 2018-10-20 20:08 | Trackback | Comments(0)

今日も伏木の海   


 少しガスっているものの立山連峰が射水平野からも見えている!、というわけで今日も伏木へ向かう。伏木駅から十余分、伏木港へ。期待したように、毛勝三山の左に白馬岳、雪倉岳、朝日岳といった後立山の峰々が見える。そして、親知らずの辺りが海に没するところまで見える。
 伏木から見える海越しの、ときには船越しの、立山連峰、後立山連峰の山々を実見せずに、堀田善衛のいくつかの小説の末尾を実感することはできないのではないか・・・。
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 いつもいつも不鮮明な写真で申し訳ありません。しかも、後立山連峰の山は雪倉岳にかかる辺りまでしか写っていません。肉眼では対岸の岩瀬、滑川、魚津の市街地らしきものも見えていました。。。。


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# by kaguragawa | 2018-10-13 21:49 | Trackback | Comments(0)

伏木港に入港する汽船。   

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きょうも午前中、伏木へ。船を見ずして、なんの伏木か、というわけで再訪(ほんとの理由は別)。ちょうど汽船が!、外港ではなく内港へ。三ツ浜汽船所属の“きんたい丸”。

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# by kaguragawa | 2018-10-08 14:43 | Trackback | Comments(0)

伏木の高台から   

 ほぼ真ん中のギザギザの山が剣岳。その左にポコポコポコと三つの山がかたまって見えるのが毛勝三山。その前面にある横長の高い建物が「ケアハウス万葉の里」。その左の白っぽい建物が「伏木コミュニティセンター」。
その左に写真でははっきりしないが海(と対岸)が見える。その辺りが対岸の滑川から魚津。
 堀田善衞少年もこの高台(一宮台地の北端)から伏木の町並みと、日本海、立山に連なる山々、能登半島を何度も見たはずである。さらには、見えるはずのないシベリアをも・・・。
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# by kaguragawa | 2018-10-06 20:13 | Trackback | Comments(0)

船絵馬? 船模型絵馬??   

 航海の安全を祈り、感謝するために神社に奉納された「船絵馬」。博物館などの北前船展示で見かけるのは、弁財(弁才)船と地元では呼ばれた和船の北前船を描いた船絵馬だが、今開催中の高岡市立博物館の企画展「堀田一族と伏木」展で、風変わりなものを見た。
 和船の絵馬ではなく《蒸気船》の奉納船絵馬。あまり精巧なものではないが、絵ではなく模型の船絵馬、いや船模型絵馬?。伏木古府の古府八幡社に奉納されたものだという。
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追記
 日本海交易の研究者であった高瀬保さんに「航海史を語る遺品 北前船の船絵馬と模型」という論考がある(北日本新聞:昭和50年3月11日)。その稿には、「新湊庄東の白山宮には、汽船の船絵馬がある。県内唯一のものであろう。」とある。
 とすれば、上の古府八幡社の絵馬は、高瀬さんもご存じなかった汽船絵馬ということになる。「新湊庄東の白山宮」とは、現在の射水市港町の白山宮。こちらの方は、模型ではなく、描かれた絵馬なのだろうか?。
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# by kaguragawa | 2018-09-29 17:49 | Trackback | Comments(0)

「延暦丸」   

 台風21号のおかげで、早帰り。

 そこで、先日来から何度も熟視している資料写真をあらためて引っぱり出す。“あるもの”が確かに写っている!のだ。再確認。ところで、何度も見たその写真だが、写真につけられた説明は読んでなかった。
 「昭和20年秋、台風を避けて沖合に停泊していた貨物船・延歴丸が錨を切断されて漂流し、激突・・・」とある。ふむふむ。枕崎台風だろうか?。そういえば、テレビで何度も映されている今回の台風で関西国際空港の連絡橋に激突したタンカーと同じじゃないか。が、なにか違和感が。

 なにか、変だ。なにか変だ。

 そうだ、「延歴丸」なんてそんな船はないぞ。これは「延暦丸」の誤植だ。

 風が気になって、外にでると、隣家のおじさんが、「小学校の頃の室戸台風を思い出しますねぇ」、声をかけながら、風雨のなか犬の散歩に出かけていく・・・。
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# by kaguragawa | 2018-09-04 17:50 | Trackback | Comments(0)

『夜の森』   

 何か月も堀田善衛の小説『夜の森』と格闘?してきて、ようやく堀田善衛を読む会での報告を終える。予想はしていたことだが、肩の荷をおろした気分にはなれない。

 シベリアから帰った主人公・忠三は満期除隊を迎えると、梅毒に冒された想い人芙美江を引き取り、ともに新たな生を営み始めるのか。憲兵同伴という半拘禁状態で帰国することになった忠三に、それは可能なのか。

 一兵士としてウラジオストックからシベリアに上陸した当初、農家の三男で呉服屋の手代だった忠三は「内地で再び紺の風呂敷包みをかつでまわることはアホらし」く思われ、「満期除隊のあかつきには、ブラジル満蒙シベリアへでも出」て一旗揚げようと思っていたのだ。が、しかし、帰国直前の日記には「満期除隊したら黙って働こう」と記す。彼のうちで何が変わったのか・・・。その彼にはどのような生が用意されているのか・・・。
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# by kaguragawa | 2018-07-28 20:13 | Trackback | Comments(0)

原敬は100年前の今頃、富山にいた   

 パソコンの中の伏木関係資料を整理していたら、偶然、100年前に富山を訪れた際の原敬(当時、政友会総裁)の日記と紀行文の写しが出てきたので、掲載しておきます。富山県東部各地の漁村に“米騒動”がおきる数ヶ月前である。
 なぜ、こんなものが手元にあるのか記憶がさだかではないが、文中にある「日方風」が、その原因?であろう。富山独特?の風「ヒカタイ」のことを調べていたとき、富山県を訪れていた原敬の紀行文のなかに「日方風」を見つけ、驚いて写したのであろうと思う。
 今、原典に当たりなおす余裕がないが、日付がだぶっているのは、前半が日記で後半が紀行文「北より南」ではなかろうかと思う。

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大正7年5月4日

 午後8時、上野を出発して富山に向かう。

   送りける春にも遇はん越の旅

5月5日 

 途中で、昨夜大風雨であったということを聞いた。
 午前9時50分富山着、富山ホテルに投宿した。
 富山県知事井上孝哉氏から午餐に招かれた。
 午後、呉羽山公園に往き、四方を眺めた。
 晩に官民会同の歓迎会に出席した。

5月5日

 越後海岸で夜が明けた、昨夜暴風雨であったいうことで、雨は晴れたが、空気がとても冷めたい。

   小袖着て過ぎぬ葉桜茂る駅

 午前9時50分、富山に着いた。井上知事から午餐に招かれた。午後、呉羽山の公園に上って越中の平野を眺望し、夕刻、旅宿の富山ホテルに帰った。

   暮遅き野や蕭然とくれは山



5月6日 

 午前、北信八州大会に出席し、演説をした。
 富山市長から午餐に招かれた。
 午後売薬製造会社(50万円)廣貫堂を一覧した。
 私は出席しなかったが、午後の公開演説会は盛況であったそうだ。晩に我が党の大懇親会を開らき私も出席した。

5月6日

 午前、北信八州大会に出席して演説をした。稻垣市長の午餐に招かれ、午後は有名な売薬製造所である廣貫堂に行って、製薬の有様などを見た。

   薬干す庭に親しむ羽抜鳥

 夕方、大懇親会に出席し、宿に帰ってから更らに井上知事の晩餐に招かれたりして深更まで過ごした。
 この日は、西の風で雨が晴れ、雪を戴く越中の霊峰立山などが見えた。方言で、西風を「日方風」という。

   青葉越しに立山晴るゝ日方風



5月7日 

 午前7時40分富山を出発し、高岡に行き前田2代の廟所である瑞龍寺及び繁久寺を見た。如何にも壮大な墓所であった。伏木港に赴き一覧した。

その後、公会堂での町民歓迎会に出席した。
 高岡に戻り陳列所を一覧し、有志者から午餐に招かれちょっとした演説をした。
 4時17分高岡発の列車で金澤に向った。
 午後5時過ぎ金澤に着、旅宿に行かないで官民合同の歓迎会に出席して演説をした。(出席者170~180名)
 土岐石川県知事から晩餐に招かれた。古今亭に投宿した。

5月7日

 午前7時40分、富山を出発して高岡に着いて、伏木行の汽車を待合せたが、時間があったので、鳥山市長の案内により、前田家2代の当主利長の菩提寺である瑞龍寺に参詣した。
 多くの伽藍は跡かたもなかったが、山門や本堂などは如何にも壮嚴にして、往時を偲ばせるものであった。また、繁久寺にある利長の墓所を見た。

これまで多くの大名の墓所を見たが、このような壮大なものは見たことがない。利長の伝説などを聞き、また墓石の様子などを見て、感慨無量であった。

   樹古りて墓石の寂びや苔の花

 高岡から伏木に行き、港内を一覧し、町の有志から招かれて公会堂で休憩して高岡に帰った。 
 高岡の物産陳列所などを見てから、官民有志の午餐に招かれて演説をした。
 午後4時17分、金澤に向った。
 この地方の農家の周囲には必らず樹木を植えている。これを「カイナ」と称し、家の宝として、容易の事では伐採しないと聞いた。

   傾ける軒にカイナの茂りかな

 金澤に着いたら、官民有志から直ぐに歓迎会に来てほしいといわれ、停車場から旅装のまゝ北間楼に行き、ここでも演説をした。土岐知事等から鍔甚での晩餐会に招かれなどして、10時過ぎ、旅宿の古今亭に入った。



5月8日 

 9時40分金沢を出発し、午後5時過ぎ京都に着いた。


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# by kaguragawa | 2018-05-07 21:39 | Trackback | Comments(0)

ながらくのごぶさた   

 自由に使えるパソコンが手元にないため長らくのごぶさたである(当分今後も)。まだこの世に在籍していることだけを、報告しておきます。

 最近、小さなわくわく、大きなわくわく、がいくつか続いたのが、残念ながら記録しないままになってしまった。

 追記:
 今、わくわくしながら読んでいる本の紹介だけでもしておきましょう。「わくわく」といっても、池内さんの行き届いた筆致にわくわくしているのであって、その悲痛な時代に心が弾んでいるわけではありませんが。
 池内紀『闘う文豪とナチス・ドイツ—―トーマス・マンの亡命日記』(2017.8)
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# by kaguragawa | 2018-05-05 19:16 | Trackback | Comments(0)

ちょっとメモ――川角捨兵衛のこと   

 「へるん」(1991-№2〔28号〕)に染村絢子さんの書かれた川角捨兵衛(かわすじ・すてべえ)情報があるので、川角の履歴の部分を、メモしておきます。

 “川角捨兵衛は、松江市中原の出身で、ハーンの松江時代の教え子である。のち同志社に学び、京都、新潟、糸魚川、金沢の各中学校で教鞭をとった。”
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# by kaguragawa | 2017-11-20 22:17 | Trackback | Comments(0)

雨のなかの秋聲忌   

 今年の秋聲忌は、雨。私がどういう資格でか、――毎年のように繰り返すこの問いに答えられない自分がいるのですが――参加させていただくようになってから、初めてのこと。

 さすがにこの雨では墓前祭というわけにいかず、静明寺の本堂で。

 タケさん(秋聲の母親)の葬儀も、当時も今もおそらくあまり変わっていないであろうこの本堂でおこなわれたのであろうと、読経の声を聴き造作を眺めながら、考えていたことでした。
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# by kaguragawa | 2017-11-18 22:16 | Trackback | Comments(0)

ありがたい、ありがたい。   

 このことはKさんにお願いするしかない、今日メールして頼んでみようと思っていたら、なんとそのKさんにばったり。

 「『横浜事件・再審裁判を支援する会 会報№1』をお持ちであれば、コピーをしていただきたいのですが」という、要件。
 しどろもどろにあって、「横浜事件の・・・、会報・・・、あの再審裁判の・・・。」と言ってる間に、いや、言い終わらぬうちに、「わかりましたよ。」と一言。

 ありがたい、ありがたい。
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# by kaguragawa | 2017-11-17 22:37 | Trackback | Comments(0)

西田幾多郎、帝大在学中の下宿先   

 西田幾多郎の帝大哲学科選科在学中(1891~1894)の下宿先が、上杉知行『西田幾多郎の生涯』(1988)に紹介されているので、メモしておきます。

・本郷区台町六 日吉館
・本郷区森川町一番地 荻野方
・本郷区森川町一番地三百六十二号
・牛込区新小川町二丁目八番地
・小石川区久堅町二十二番地

〔追記〕
 上記のうち、本郷区森川町一番地三百六十二号は、私のこのブログの5年前の記事に幾多郎が明治25年〔1892〕9月に住んだ場所として「本郷区 森川町一番地 新坂三六二」の表記で紹介されていました。
 そういえば、森川町一番地新坂にちなんだ番地をいくつか書いた記憶はあるのだが、そのときの幾多郎情報はどこで見つけたものなのか、思い出せない・・・。
 http://kaguragawa.exblog.jp/18823853/
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# by kaguragawa | 2017-11-11 16:11 | Trackback | Comments(0)

ちょっと手すきな時間に   

 自分が自由に使えるパソコンが無くなったのが一番の理由だが、このブログへの書き込みもほとんど、しなくなった。
 不思議なもので、女房からパソコンを借りることができ、時間の余裕のある場合であっても、そしてちょっと報告したいことやおもしろい話題があっても、今までのように書き出すことが、なかなかにできない。

 なにはともあれ、「週一」、なにかの記録を――自分のためにも、そして、かぐら川的「知」を共有してもらえるかも知れぬ人に向かっても――残したいものと思っています。
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# by kaguragawa | 2017-11-04 17:49 | Trackback | Comments(0)

見つかったもの。   

 ある本を探して、書庫?納屋?をごそごそやっていたら意外な本やら物やらがいくつか出てきた。

 1987年5月発行の臨時増刊・岩波文庫創刊60年記念「私の三冊」もその一つ。
 有り難かったのは、岩波文庫の木下杢太郎『百花譜百選』。描かれた日付と短い身辺雑記があまりにも、切ない。

 
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# by kaguragawa | 2017-10-16 22:36 | Trackback | Comments(0)

ugoita?????   

nankagetsumo ugokanakatta pasokonnga nazeka ugokimashita. isoide totemo taisetsuna fairu(file) dakewo mail ni kuttukete --usb wo ninnshiki shinainode--okurimashita.
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# by kaguragawa | 2017-10-08 20:03 | Trackback | Comments(0)

八月になっている   

 先月は不順な天候が伏せっていた方の最期の生命の糸を切っていったのだろうか、近しい多くの方が亡くなられ、日もおかずに同じ火葬場で最後のお別れを重ねた。
 天命ということばがあることは承知もしているが、事態を受け入れないままに七月が過ぎていった。

 古書店で見つけたエッセイ集『銀座が好き』特装版!の近岡善次郎さんの繊細な挿絵を見ているとそのどれもこれもが、いとしさの余り涙をさそう。もうすぐお盆だ。
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# by kaguragawa | 2017-08-09 22:05 | Trackback | Comments(0)

2017瀧口修造橄欖忌   

 瀧口修造の命日にあたる今日、Hさんのご厚意で瀧口の「橄欖忌」に参加させていただきました。

 雨の降り続くなか、生地の龍江寺(現:富山市大塚/生誕時は婦負郡寒江村大塚)にある墓碑にバラの花とオリーブの枝を供えさせていただき、そのあと、場所を移して犬島肇さんのお話「武満徹の視線から瀧口修造を読む」をうかがう、という得難い日となりました。

 「おまえがなんで瀧口修造の・・・」と問われても答えはないのですが、遠い距離からずっと想いを寄せてきた人としか言いようがありません。

 講演の合い間に聴くことのできた武満徹のピアノとヴァイオリンの「妖精の距離」――瀧口修造の詩画集「妖精の距離」に触発されて武満徹がつくった二重奏の曲――が、今日の私の瀧口体験をまとめてくれるように思われる。


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# by kaguragawa | 2017-07-01 19:26 | Trackback | Comments(0)

岡田三郎「伸六行状記」――。   

 正直なところ、一読、ちょっと驚いた小説がある。岡田三郎「伸六行状記」――。1940(昭和15)年の作品(「新潮」発表)とは知っていたのだが、私が鈍感なせいもあるだろうが、戦中の欝々とした時代の雰囲気が感じられないのだ。不思議な作品だ。

 堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』の第4部に、名前は明示されないものの“お龍さん”のあらたな旦那さんとして出てくることから、あらためて意識にのぼってきて、この短編をまず読んだ次第。あらためて近代文学事典を開いてみたら、野口冨士男が野口冨士男らしい文で「岡田三郎」の項を書いていたのもうれしいことでした。 


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# by kaguragawa | 2017-06-29 22:58 | Trackback | Comments(0)