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2019年 06月 10日 ( 1 )   

津田仙の事業と人格の影響、を知る   

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 津田仙の学農社や「農業雑誌」にちなむ人物を追った二つの論考が入手できました。加納弘勝「津田仙の『農業雑誌』と地域への広がり―明治10年代と明治20年代の読者に注目して―」、下村明徳「学農社農学校卒業生による西洋野菜・果樹の普及活動」。

 この二つの論文からも津田仙の事業と人格の影響力がいかほどのものであったのかが見えてくる一方、その影響の及んだ人々の綺羅星のような活動にもいっそうの興味が惹かれる、そういう力作である。とりわけ、加納氏が自らの論文視角を、1〔学農社〕、2〔民業自奮〕、3〔多利の農業〕、4〔キリスト教的社会改良〕、5〔農民の「生活向上」〕の5つのポイントで整理して俯瞰図を描いてくださったことは、津田仙の事業の見取り図としても簡明で教えられるところの多いものでした。
(注:“2〔民業自奮〕は、津田が「自由を重し」と官位には無縁を貫き求めた、「物産興隆の道」としての「民業自奮」である。3〔多利の農業〕は、「欧米の運」をもたらすために農民に勧めた「幾多の収納」、「多利の農業」や「学理的農業」である。”という。)

 北陸の地に住む私にとって興味深いのは、下村氏が取り上げられた二人の北陸人「橘仁」と「阿閉政太郎」である。このブログで何度か断片的に取り上げた橘仁(甚兵衛)のことは、あらためて書きたいが、注目すべきは現在の松任市生まれで、津田仙に学んだのち金沢で西洋野菜を栽培し教育者として活動した阿閉政太郎である。阿閉政太郎については息子の阿閉温三の紹介文があるが、裏付けの十分にとれない記述が多い一方、関係した北陸学院関係の記録にも整合性のとれない部分があり、掘り起こしはこれからだと思われる。い

 いずれにせよ、津田仙の周りに独自な軌跡を描く衛星のような人物が輩出しており、それぞれの場でユニークな足跡を残していることは特筆すべきことであり、今後もそうした人物への丹念な後追いが続けられることで、今まで見えていなかった近代の特異な像を見せてくれるのではないか、というのが二つの力作に接した感想なのである。



by kaguragawa | 2019-06-10 23:14 | Trackback | Comments(0)