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2013年 02月 11日 ( 2 )   

森銑三の語る三島霜川   

 『近代文学研究叢書 第36巻』(昭和女子大学近代文学研究室/1972(昭47).7)に「三島霜川」の項があり、非常に充実した内容のものなのだが、この次巻にあたる『第37巻』(1973(昭48).1)の「巻末付記」に、第36巻の寸評がいくつか載っている。そこに森銑三さんのコメントがあり、おもしろいものなので写しておきます。
 (段落分けは、読みやすいように私がおこなったものです。ご諒解のほど。)

 近代文学研究叢書第三十六巻御恵贈に預りありがたく存じます。この巻には「三島霜川」の一章のありますことが私には取分け嬉しく、まづその章を一読いたしました。行届いた御調査には感謝のほかございませんが、大正初年の頃に歌之助の名で刊行した「芝居見たまま」の一書が「著作年表」に見当たらぬのを寂しく存じました。その中の「勧進帳」「先陣問答」など往年の私の殊に愛読したものでございました。
 演芸画報には徳田秋声も時おり寄稿しております。それらの秋声の寄稿の中には霜川の代作らしく思われるものなどもあり、そのことを少々考えて見たいと嘗て思ったことでしたが、ほんとうに考える時間の余裕がなくて今日に至ってしまいました。秋声の小説にも霜川の代作したもののあることは衆知の事実で、何という名の小説でしたか、評判のよいのに霜川が苦笑して、それなら自分の名で発表すればよかったのにといった話なども伝えられています。その代作のことどもにも一言触れて置いていただきたかった気がします。霜川という人は名人気質の持ち主で私は第一にその点に惹きつけられます。かようなことを書いてお礼に代えます。
 「霜川」についで「宮島新三郎」の一章のありますことが私には嬉しくそれを第二に読んで見たいと思ってることでございます。


 なお、ご存じの方も多いと思いますが、森銑三は『大正人物逸話辞典』(東京堂出版/1966(昭41).2)を編んでおり、そこに「三島霜川」の項がある。

〔追記〕
 私がこの項を書こうと思っていたちょうどその頃、藤田加奈子さんがツイッターで森銑三の『大正人物逸話辞典』の「三島霜川」を、話題にしておられるのを拝見しました。なんという、偶然!。

by kaguragawa | 2013-02-11 19:54 | Trackback | Comments(0)

三島霜川:故郷の冬の想い出   

 私の村は町から八丁ばかり離れていた――町と言っても戸数が三百ばかりの寒駅だ。それでも料理屋兼女郎屋というような家が五六軒あった。
 冬の夜、この料理屋兼女郎屋から、粗暴な、そしてだらしのない騒ぎ太鼓の音が聞こえるのが、荒涼とした野原へ伝わって、何とも言えぬ憂愁を覚えさした。
 一体私は、故郷の冬をいう前、夜ということが先ず考えられる。それは雪が深く積って、へやが一日薄暗い上に、日が極めて短いので、昼の印象は極めて少ない。まあ言ってみると。家がカンと冷え固まって、森(しん)としている中に訪ねて来る人は一人もなく、皆炬燵にうづくまって咳(しわぶき)でもしているような日に、外が吹雪で何とも言えぬ恐ろしい声を立てて風と雪とが狂っている。そのもの凄い記憶は、今でもはっきり残っている。
 それよりも昨日から降りしきった雪の夜明けとともに晴れ上がった朝、昨夜積った雪の重みで、裏の竹藪で太い孟宗竹が、バシリと音がして折れると同時にバサバサと重い音がして雪の落ちる音も耳に残っている。
 そうかと思うとやはり雪の朝、空が蒼くカラリと晴れて、冷たい日の光がキラキラと雪に照り返って、目を射られるように痛くさしているところへ、屋根の雪が解けて、ポトリポトリと落ちる雨垂れが、軒につるした干大根の影と共に白い障子に写って、陽炎のように美しく閃くのをみていると、もう春が近づいて来たかのように思われて何とも言えぬ長閑な気持ちがする。
 そうかと思うと、雪が深く積って、自分等の住んでいる村の平野は、雪に埋められてしまっている間に、枯れ木がトボトボと骨のように立っている。そういう雪の上が、夜明けぬ朝のうち、昨夜来の寒気に凍りきって板のように固くなっている。その上をカンジキを履いてどこまでも歩いて行って、朝日の出ないうちに帰ってくるというような雪の上の小旅行は、雪のない国の人々の思いも及ばぬ愉快である。
 雪のボタボタ重く降っている日に、家の下男と一緒に裏の畑に出て、雪の下に埋まっている蕪や大根を掘り起こすと、土が真っ黒になって、オオこういう地面があるのだということを、始めて思い知るような気がする。つまり、長い間見ぬ土を、珍しくそして懐かしく思って見るのだ。
 殊に夜の印象が深いというものは、日が暮れると、そこらが全く死んだように静かになって、戸をあけても火の影が一つ見えるではない。所々の森や林の影がボツボツと浮いて見えるだけで、ほとんどそこに人が住んでいるものとは思われない。その淋しい中を、村の若い男が何物かを求めようとして、顫えるような甲高い声で歌って行くのが、いかにももの淋しく聞こえる。
 こういう静かな晩には、村のお寺に説教あって、爺さん婆さんたちが身体に堪えられるだけ着ぶくれて、七丁も八丁も十丁もある道を、トボトボとお参りに行く、この婆さんなどの足音が、前の往来に時々静かに聞こえる。
 こういう時に説教のある寺の光景は、須弥壇には燈明の火が二つ三つ心細く灯って、変に頭のテラテラした坊さんが説教しておる。火の気もないガランとした堂の中に、老いた善男善女たちが、熱心に説教を聞いている。時々呟くような南無阿弥陀仏の声が、口々からもれて、いかにも、しめやかな、感じ深い光景をつくる。
 私は故郷の冬を回顧するたびに、極めて寂寥な、何をしようにもすることのできない、自然のために人間が苛められているというような感じが深い。

                                   (『新潮』明治44年1月号)

註:冒頭の「寒駅」の《駅》は、街道の宿駅のことで、霜川(三島才二)の生まれた砺波郡下麻生村の南を通っていた北陸道の一つで上使街道とも呼ばれた街道筋の「中田」宿を言ったものであろう。のちに下麻生村なども併せた中田町となり、現在、高岡市。

by kaguragawa | 2013-02-11 15:32 | Trackback | Comments(0)