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2009年 12月 29日 ( 1 )   

露風、《山田順子》、秋声   

 昨年の今日(12月29日)、「霜川、露風、《山田順子》、秋声」というタイトルで次のように書きました。

 “きょう12月29日は「赤とんぼ」の日である。といっても、この季節、赤とんぼが群れ飛ぶ季節ではないことは言うまでもありません。日本を代表する歌曲「赤とんぼ」に、ちなむ日なのです。といっても、この曲が作曲された日とか、初演された日とかではなく、ちょっと残念な日なのです。この29日は、曲をつくった人物が亡くなった日なのです。

 この曲をつくったのは、山田耕筰と三木露風。言うまでもなく作曲が山田耕筰、作詞が三木露風。なんの因果かこの二人とも、この年の瀬の12月29日に、合わせたようにというかあいついで亡くなっているのです。三木露風が1964(昭39)年。山田耕筰が翌年の1965(昭40)年。不思議なことがあるものです。

 ところでこの三木露風、今では「赤とんぼ」の作詞者として名前がでる以外、ほとんど見かけることのない名前になっていますが、北原白秋と人気を二分し「白露時代」と呼ばれた一時期を近代詩の歴史に残している詩人なのです。
 この露風が、上京後の雌伏期間――明治40年頃――を、三島霜川のもとに居候として過ごしていたことについては、報告したことがありました。そして、徳田秋声とも面識を得ることになったことも書きました。露風が早稲田大学に提出した現住所が、なぜか《本郷区森川町一番地南堺裏 徳田方》――徳田秋声の自宅――になっていることも驚きとともに書き記しました。
 
 こうした、霜川、露風、秋声の関係は、つながりはそこで終わっていなかったのです。なんと驚いたことに、小説家志望だった山田順子――秋声に老醜をさらさせ、かつ『仮装人物』という労作をもたらしたあの!山田順子です――に秋声宛ての紹介状を書いたのが三木露風だったというのです。このいきさつについては、また後日。”


 ・・・・1年たった今になって、「後日」書こうとした「三木露風が秋声宛ての紹介状を山田順子に書いてやったいきさつ」がもう自分でもわからなくなってしまっているのです。情けない話です。順子の初めての結婚生活は北海道の小樽なのですが、この期間が露風のトラピスト修道院(函館近郊)の講師時代と重なる部分があるのです。露風と山田順子は北海道で知り合ったのではないでしょうか。調べなおしてみます。

by kaguragawa | 2009-12-29 00:49 | 明治大正文学 | Trackback | Comments(2)