2009年 06月 28日 ( 1 )   

福野高校〔巖浄閣〕にて(2)   

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 稲塚権次郎は、富山県立農学校の大正3年(1914)の卒業生です。恥ずかしいことに、稲塚権次郎の名前は石黒岩次郎とともに富山県の生んだコメの育成者として知ってはいたのですが、その経歴や業績についてはまったく知らなかったのです。この巖浄閣の常設展で、稲塚が鉢蝋清香とともに顕彰の展示がなされていることで、福野にあった県立農学校の卒業生であり、水稲農林1号につらなる陸羽132号の育成者であり、小麦農林10号の育成者であることも知ったのです。

 と言っても、「水稲農林1号」も「小麦農林10号」のことも知らない私は、農業にたずさわった先人として彼らの展示を見始めたのですが、鉢蝋清香の展示に《水稲「陸羽132号」と宮澤賢治》の手書きの説明があるのをみてドキっとしました。実は、今この項を書こうとしている私には、稲塚権次郎と宮沢賢治のすれ違いの、しかし重なり逢う「生」が少しは見えているのですが、時間を昨日の戻して、まずその場で写し取った説明をここに転記することにします。

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     水稲「陸羽132号」と宮澤賢治
 
 陸羽132号は、稲塚権次郎(旧城端町名誉町民)が、秋田陸羽支場で、寺尾博士、仁部富之助のもとで育成にかかわった水稲である。しかし権次郎は岩手県農事試験場に転勤となり、途中5代まで交配した種子を新潟農事試験場に送り、継続研究を委託する。そこには、偶然にも福野農学校の後輩である鉢蝋清香(旧平村名誉村民)が技手として勤務していた。そして、清香の手でついに世界に誇る早生水稲「農林1号」を完成させたのである。奇しくも福野農学校が生んだ偉才を放つ先輩と後輩とによる偉業であった。
 この農林1号をもとに、更に交配が重ねられコシヒカリ、ササニシキ等といった日本の優良水稲品種が多く育成されている。
 権次郎が育成に携わった「水稲132号」は、宮澤賢治が東北の飢饉を救うために心血を注ぎ、栽培を広く奨励した水稲である。この水稲により多くの人命が救われ、賢治は東北の人々から尊敬と絶大なる信頼を寄せられ、権次郎は「育種の神様」と賞讃される。
 賢治自身の詩集「春と修羅」の中の稲作挿話の中に、賢治がことのほかこの稲に思いを寄せていたことが綴られている。

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by kaguragawa | 2009-06-28 19:44 | 街歩き/たてもの | Trackback | Comments(0)