8月15日という日
2019年 08月 16日
顰蹙をかうのを承知の上で正直な気持ちを言えば、8月15日というのは、心の「居場所」のない日である。
心をどこに落ち着かせればよいのか、「お盆」ということで初秋の風の中、山寺での家族そろっての墓参がかなえば、少しは穏やかな気持ちにもなるのだが、「お盆」に決まって訪ねる姉の家で、戦没者慰霊式典の音が漏れ聞こえてき「もうお昼か」と、そわそわしてき、この日だけ、何度も何度も何度も「戦没者を悼む」だの「戦争の惨禍は・・・」などと聞かされ、先祖の霊と戦没者の霊が取っ組み合いを始めるのような幻影さえちらつき、そのうち「たえがたきを~たえ」などと聞かされば、もうテレビもラジオも無い世界がうらやましくなろうというもの。
そんな折、8月15日が歿日の丸山真男の1965年8月15日の言説「二十世紀最大のパラドックス」を読む機会を得た。私など丸山真男の文章にまったく歯がたたない愚鈍な頭の持ち主にも、その論旨のまっとうさはストレートに伝わってきたのである。(下線引用者)
「私は八・一五というものの意味は、後世の史家をして、帝国主義の最後進国であった日本が、つまりいちばんおくれて欧米の帝国主義に追随したという意味で、帝国主義の最後進国であった日本が、敗戦を契機として、平和主義の最先進国になった、これこそ二十世紀の最大のパラドックスである――そういわせることにあると思います。そういわせるように私達は努力したいものであります。」
by kaguragawa | 2019-08-16 17:18 | Trackback | Comments(2)
お盆の頃、戦争話題があふれていましたが、今は、影をひそめてしまいました。つねに考えるべき問題かと自戒していますが・・・。