《道林寺》の横山源之助、ハーン、古河力作
2019年 08月 03日
水上はこの道林寺については深くふれていないのですが、禅僧・白崖窟(南天棒)との関りでも知られていますが、以前、横山源之助やハーン(小泉八雲)との関りで、少し書いたことがあるのを思い出して、雑庫のなかから探し出してきました。
「水際に立つハーン」は、2005.06.18に書いたもの。
10年以上まえのものですが、懐かしいものですし、あまり言及されていないことなので、再録しておきます。(右の写真は、横山源之助)
横山源之助が毎日新聞に勤める前の放浪時代の一時(1893~1894?)禅寺に寄寓していたことがあります。
牛込区市ヶ谷富久町8番地の「瑞光山道林寺(臨済宗)」です。
(のちに乃木希典もこの寺に関わっていたという。未確認ですが。)
有名な逸話の寺(瘤寺)――この寺の杉の老木が切り倒されたことにハーンは激怒し、翌年に大久保村に移ることになる――は、この道林寺ではなく今も残る「自証院円融寺(天台宗)」。
ハーンの葬儀(1904.9.30)もこの円融寺でおこなわれています。
《水際に立つハーン》2005.06.18
「富山八雲会」主催の特別講演会を聞きに行ってきました。
偶然、昨日の新聞で、“「海と信仰 水際に立つラフカディオ・ハーン」の演題で西成彦教授が講演。会員でなくても聴講できる。」”とあるのを見つけたのでした。
「水際に立つラフカディオ・ハーン」とはこれもなんと惹きつけるテーマでしょう。
彼なりの日本受容のあり方に、日本の海に対面しそこから聴き取ったもの、いや聴き取ったものというより、聴き取り「方」が独自の規定を与えているのではないか〔ハーン「焼津にて参照〕。「耳なし芳一」の琵琶法師の語りから聞こえてくる壇ノ浦の合戦の迫真性(真実性)も、ハーンの海の音の独自の聴き取りによって担保されているのではないか・・・。
ハーンが佇む海辺(水辺)から視野をズームアウトした場合、ハーンの居場所は日本なのか、世界なのか。そして現代の日本に生きる我々にとってハーンの居場所(存在)から何を学ぶことができるのか・・・。
(西さんの講演の論旨と少しずれたところでそんなことを考えていました。)
講演会場で求めたラフカディオ・ハーン没後100年記念誌『とやまから 未来に伝えるハーンの心』のハーン年譜によると、市ヶ谷時代のハーンの散策 エリアには「禅寺道林寺」がはいっていたとのこと。
とすれば、ハーンと横山源之助が出逢う可能性も高いと思われますが、問題は源之助がいつごろまで道林寺に寄寓していたかが焦点になります。残念ながらニアミスだったのでは……と思えてきました。
はたしてどうなのでしょう。
by kaguragawa | 2019-08-03 17:29 | Trackback | Comments(0)