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《道林寺》の横山源之助、ハーン、古河力作   

《道林寺》の横山源之助、ハーン、古河力作_e0178600_17250626.jpg
 水上勉『古河力作の生涯』を読んでいて、若狭出身の古河力作の遺骨が市ヶ谷の道林寺に埋葬されていたことを知りました。なんとさらに驚いたことに力作の遺骨が、行方不明だという。
 水上はこの道林寺については深くふれていないのですが、禅僧・白崖窟(南天棒)との関りでも知られていますが、以前、横山源之助やハーン(小泉八雲)との関りで、少し書いたことがあるのを思い出して、雑庫のなかから探し出してきました。

「ハーンと黙礼をかわした源之助」は、2005.04.19に書いたもの。
「水際に立つハーン」は、2005.06.18に書いたもの。
10年以上まえのものですが、懐かしいものですし、あまり言及されていないことなので、再録しておきます。(右の写真は、横山源之助)


《ハーンと黙礼をかわした源之助?》 2005.04.19

 横山源之助が毎日新聞に勤める前の放浪時代の一時(1893~1894?)禅寺に寄寓していたことがあります。
 牛込区市ヶ谷富久町8番地の「瑞光山道林寺(臨済宗)」です。
 (のちに乃木希典もこの寺に関わっていたという。未確認ですが。)
 なんと同時期、すぐ近く〔市ヶ谷富久町21番地〕にラフカディオ・ハーンが住んでいたことがあります(1896.9.28~1902.3)
 有名な逸話の寺(瘤寺)――この寺の杉の老木が切り倒されたことにハーンは激怒し、翌年に大久保村に移ることになる――は、この道林寺ではなく今も残る「自証院円融寺(天台宗)」。 
 ハーンの葬儀(1904.9.30)もこの円融寺でおこなわれています。
 横山源之助とハーンが、わずかな時間差で至近距離に住んでいたことがあるなんて、どこにも書いてありませんが、こんなことが年表と地図で発見できるのですから、「バーチャル散策?」はやめられません。

《水際に立つハーン》2005.06.18

 「富山八雲会」主催の特別講演会を聞きに行ってきました。
 偶然、昨日の新聞で、“「海と信仰 水際に立つラフカディオ・ハーン」の演題で西成彦教授が講演。会員でなくても聴講できる。」”とあるのを見つけたのでした。
 西成彦さんのハーン研究『ラフカディオ・ハーンの耳』は読んでいないのですが、『森のゲリラ 宮沢賢治』のクレオール文化論を読んだときの衝撃は今もどこかに残っていたのです。
 「水際に立つラフカディオ・ハーン」とはこれもなんと惹きつけるテーマでしょう。
 ハーンは、日本の民俗に触れる中で、彼生涯のグルントトーンとも言える「海の声」――海を介して蓄積された原始記憶ともいうべきもの――を、やはり聞き取っていきます。
 彼なりの日本受容のあり方に、日本の海に対面しそこから聴き取ったもの、いや聴き取ったものというより、聴き取り「方」が独自の規定を与えているのではないか〔ハーン「焼津にて参照〕。「耳なし芳一」の琵琶法師の語りから聞こえてくる壇ノ浦の合戦の迫真性(真実性)も、ハーンの海の音の独自の聴き取りによって担保されているのではないか・・・。
 ハーンが佇む海辺(水辺)から視野をズームアウトした場合、ハーンの居場所は日本なのか、世界なのか。そして現代の日本に生きる我々にとってハーンの居場所(存在)から何を学ぶことができるのか・・・。
 (西さんの講演の論旨と少しずれたところでそんなことを考えていました。)
 余談ですが、アメリカを真中に、左にユーラシア大陸の東側(東欧・ロシア・アジア)、右にユーラシア大陸の西側(西欧)を置いた世界地図――日本とアメリカ、ヨーロッパの距離感に新たな視野を与えてくれる――「ラフカディオ・ハーンの足跡」という講演会資料の地図を見ながら、午前中に久しぶりに読み返したルソー『不平等起源論』を重ねたりして、楽しんでいます。
〔追記〕
 講演会場で求めたラフカディオ・ハーン没後100年記念誌『とやまから 未来に伝えるハーンの心』のハーン年譜によると、市ヶ谷時代のハーンの散策 エリアには「禅寺道林寺」がはいっていたとのこと。
とすれば、ハーンと横山源之助が出逢う可能性も高いと思われますが、問題は源之助がいつごろまで道林寺に寄寓していたかが焦点になります。残念ながらニアミスだったのでは……と思えてきました。
 はたしてどうなのでしょう。

by kaguragawa | 2019-08-03 17:29 | Trackback | Comments(0)

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