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これはなに? 〔Pumpkin bomb〕がここに落下?   

これはなに? 〔Pumpkin bomb〕がここに落下?_e0178600_20280659.jpg

 74年前(1945年)の7月20日に、富山市内に3発のパンプキン爆弾が投下された。その三カ所の跡を訪ねたいと思っていたところ、ある人から富岩運河の左岸(西岸)に変なオブジェがあるがそれが落下地点の一つだとご教示を受けた。

 今日、仕事を終え、6時も過ぎた夕刻、富岩運河に向かった。環水公園に近い木場橋から下流を眺めると下新橋の手前の西岸にそれらしきものが見えるではないか!。
 沈んでいく薄オレンジの雲中の太陽を見つけ、暗くならないうちにと、急いだのだが、というのは肉眼では普通に見えていても安物の携帯のカメラは照度不足で被写体がくっきりと写らないからだ。

 なんとか撮ったのが掲載の写真。

 このオブジェ自身にも近辺にも“まったく”説明がない。ジョギング中の人(思ったよりも多い)が行き交うなか辺りを歩いてみたが、皆さん黙々と駆けるだけでこの変てこなものにも目もくれず無関心。
 このオブジェがほんとうにこがパンプキン爆弾の落下地点を示すものとしてつくられたものとすれば、ここが「日本曹達富山製鋼所」を目当てに落とされたという原爆模擬爆弾(パンプキン爆弾)の被弾地ということになる。
 とすれば、これだけの象徴的な造形物をつくりながら、なぜそのことに触れた案内や説明が皆無なのだろうか。
 どなたか,お教えをたまわれば有り難い。

 追記;
 7月20日のターゲットは、
1)不二越製鋼東岩瀬工場、2)日満アルミニウム東岩瀬工場、3)日本曹達富山製鋼所(上記)だったという。
そのうち、死者47人、負傷者40人以上というのは、不二越製鋼東岩瀬工場近辺なのか、日満アルミニウム東岩瀬工場近辺なのか。
(どちらも実は、私の生地に近い場所であり、不二越製鋼東岩瀬工場の社宅に、私は戦後生まれたのである(当時、北陸線の東富山駅は東岩瀬駅と呼ばれており、戦後、不二越製鋼「東岩瀬工場」は「東富山工場」となった。)

追記2(2019.08.13)
1945年7月20日に、日本曹達富山工場を狙ったパンプキン爆弾が「誤」投下された富岩運河西岸地点はここではないようですね。
投下されたパンプキンがさく裂したのは、たしかに運河の西岸ですが、木場橋と下新橋の間(写真の場所)ではなく、下新橋と大島橋の間(写真より数百メートル北の地点)ですね。
しかしこれは、象徴的な貴重なモニュメント。


by kaguragawa | 2019-07-23 20:59 | Trackback | Comments(0)

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