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二・八独立運動から100年の日に   

 久しぶり読んだ中塚明さんの『近代日本と朝鮮』から。

 米騒動のころ、日本には約800名の朝鮮留学生がいたが、1918(大正七)年の暮ごろから、彼らのあいだでも独立運動が活発になっていた。そして東京にいた約600名の朝鮮人学生は、早稲田大学政治学科の崔八鏞らの指導のもとに1919年2月8日、神田小川町の朝鮮人基督教青年会館に集まり、独立宣言と決議を発表、公然たる独立運動の烽煙をあげた。
 その宣言は、アメリカとイギリスが、日本による朝鮮の「保護」と「併合」を率先して承認したことを鋭く指摘し、ロシア革命で帝政ロシアがうちたおされたいま、「韓国併合」の最大の理由はなくなったとして、朝鮮の独立と自由を要求するとともに「日本がもしわが民族の正当な要求に応じないならば、わが民族は日本に対して永遠の血戦を宣するであろう」と宣言した。—―もちろん、この大会は日本官憲のはげしい弾圧を受け、指導者は逮捕された。しかし、朝鮮人学生はあとからあとへと繰り返し集会をひらき、議会へ陳情やや逮捕への抗議をつづけた。
 いっぽう東京の朝鮮人学生の半数は、郷里に帰り、独立運動の準備をはじめた。彼らはやがて起こる三・一運動の全国への波及をたすけるうえで重要な役割を果たすのである。

 
※100年前の2月8日は雪の日だったようです。文中の「朝鮮人基督教青年会館」は、「神田小川町」となっているが、正確には「神田区西小川町2丁目5番地」ではなかろうか。





by kaguragawa | 2019-02-08 23:26 | Trackback | Comments(1)

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Commented by 平名 at 2019-02-14 05:00 x
此れを踏まえれば、韓国が独立国では発せない事を日本に浴びせて居る事が理解できる!?
 独立すべきでなかったか? 否、それ以前に南北バラバラだ、、 一緒に成って大日本に⁉

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