河合理右衛門、河合クニのことなど   

 富山出身の女性が東京音楽学校で瀧廉太郎の1年下に在籍したことは、6月29日の「瀧廉太郎――櫻井信彰、高塚鏗爾のこと(2)」に書きましたが、この女性《河合クニ》が、富山の演芸史には欠かせない存在である河合理右衛門の娘さんであることを今日知りました(*)。
 河合理右衛門についても、ユニークな総曲輪史誌『総曲輪懐古館』(1977)の主要な登場人物として名前は知っていますが、その生涯については私にはまったく未知の人です。

 そうした瀧廉太郎の周辺のことは、ゆっくり調べていきたいと思っています。河合理右衛門、河合クニ(田村クニ)についてご存じの方は、情報を寄せていただければ幸いです。

(*)スバル文化会(富山県内の文芸関係有志)が発行していた雑誌「スバル」(2巻5号/1934.9)掲載の「富山芸術文化史」(其の六)の「明治32年7月21日」の項に、次のように記されている。
 「富山市河合理右衛門氏次子クニ子は七月東京音楽学校専修部を卒業帰富せり。直ちに大阪清水谷高等女学校に奉職なす」
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by kaguragawa | 2016-10-31 22:10 | Trackback | Comments(1)

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Commented by toyama0727 at 2018-10-29 14:22
『富山大百科』の「帝国館」の項に<1900年(明治33)11月総曲輪(そうがわ)に歌舞伎座として開場。座主は河合理右衛門。>とあります。また「高志人」第7巻第12号に「演芸大会」という記事(p. 72)があり、<とやま河合会、富山演芸文化会共催の「素人演芸」は十一月十五日から三日間、富山興行界の恩人河合理右衛門翁の忌日を中心として、とやま座で行はれた。[...]>とありました。参考まで。

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