秋聲と南大曹   

1)
 12/9の《漱石と南大曹》の余談中に、徳田秋聲の『死に親しむ』にふれ、文中の“彼”〔秋聲の分身〕が診断を受けている「M―ドクトルも、南大曹なのであろうか。」と書きました。その後、大曹に関する私製メモ(前回のものはその要約)をもう一回読み直してみると、確証はもてないのですが、この「M―ドクトル」が南大曹であってもいいのかな、肯定的に考えてもよいのかな・・・という気がしてきます。秋聲研究者の方のご意見をお聞きしたいところです。
 以下、Aは「死に親しむ」の該当箇所で、Bは私の南大曹メモです(太字の部分に注目)。

【A】  「死に親しむ」(1933)より
「癌じゃないですか。」彼はM―ドクトルの診察室で、ベッドに横たわりながら訊いた。十五六年以来同じ質問を口にしたのは、幾度だか知れなかった。
「癌ですか。」M―ドクトルは指で腹を押し押ししながら、うふふと笑った。
「どこにもそんなものはありませんよ。」

「しかし・・・。」
「大丈夫ですよ。軽微な胃潰瘍のようなものですけれども心配ありません。少し続けて薬を呑んで下さい。」
 彼は薬をもらって帰って来た。


【B】  南大曹:1878.03.31~1945.02.26 
 奥州二松松藩(福島)の藩医・近藤玄貞の子。近藤達児(衆議院議員、1875-1931)は、兄。福島県安達郡二本松で生まれ、医業を営んでいた南二郎(山岡房次郎)の養子となる(山岡は、二本松少年隊の一員)。
 1905(明38)年、東京帝国大学医科大学を卒業。1910(明43)年~1912(大1)年、ドイツに留学。1913(大2)年、医学博士。長与称吉の「胃腸病院」に勤務し、二年後、南胃腸病院を開設して一般診療に従事。
 著書に、『胃腸病診断及治療学』(南江堂)などがある。日本消化器病学会会長、癌研究会理事長、日本医科大学教授などを歴任した。
 触診で、病名を言い当てたというエピソードがあり、長男・南博のエッセイ(*)のなかにも、“おれの指はレントゲンよりも正確だというような自信があって、顔色を診ただけでもわかるとか、それから縁起でもない話ですが、患者さんの亡くなる日時、ほとんどあと何日で、場合によっては時間もかなり正確に、そのころまでと言うと大体当たっているというようなことで。”――とある。
 全国的に有名で、日本各地から旅館を予約して治療に通う患者がいたといわれる。

*=「『学者渡世―心理学とわたくし』を中心として」一橋の学問を考える会[橋問叢書 第四十七号] 
http://jfn.josuikai.net/nendokai/dec-club/sinronbun/2005_Mokuji/Kyoumonsousyo/dai47gou/GakusyaTosei.htm

2)
 上記の「『学者渡世―心理学とわたくし』を中心として」は、1985年の講演を文字化したもののようです。冒頭の一節には「わが父、南胃腸病院院長・南大曹」というサブタイトルがついています。大曹さんがどんな方だったのか、よく語られていますので、部分的に、抜き写しておきます。

●一日三時間くらいしか睡眠をとらないんです。夏は七時から病院、冬は八時から晩の四時、五時まで。日本で一日に一番多数の患者さんを診ただろうと言われて百人ぐらい。
●病院経営というのは非常にむずかしいので、父なんかは一番合理的にやりました。そのかわり病院と運命を共にするということで、関東大震災のときは京橋の木挽町、いま中央公会堂、あそこだったんですが、焼け落ちる、もう危い瞬間まで自分だけ残って、患者さん、お医者さん、看護婦さん、全部上野の公園に避難させて、自分が最後に病院を出て、いまは自動車道になっていますがそのころは川があって、橋を渡った途端に橋が落ちたということで、やはりリーダーシップをとる人間は、それは船だと船長さんがそうでしょうが、自分の生命よりあずかっている方と部下の生命を大事にするのです。

3)
 最初建てられた「南胃腸病院」は、上に書かれているように、関東大震災で被災。先日書いたように新築されることになります。下の写真を見ていただければおわかりのように立派なものです。設計は、明治生命館や歌舞伎座(三代目)の設計で知られる岡田信一郎です。なお、震災復興で、前を流れる築地川に楓川との連絡水路も新設され、ちょうど病院の前に、めずらしいY字の橋――「三吉橋」が架けられます。
 写真は、その当時(昭和5年)のものだろうと思われ、「彼」(≒秋聲)が渡瀬ドクトル(≒亘理祐次郎)を見舞ったのは、竣工後数年のこの景観の病院だったろうと思われます。
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 手前が震災復興でできたY字橋「三吉橋」、中央が南胃腸病院、病院の奥に見えるのが松屋デパート。
 のちにこの橋が、三島由紀夫「橋づくし」(1956)、堀田善衞「橋上幻像」(1970)の舞台となります。


〔追記〕
【三吉橋】 完工時のデータ
 位置:旧京橋区木挽町1丁目←→同区新富町5丁目←→同区築地1丁目の間
 橋長:82.8m 有効橋幅:15m 
 設計:復興局橋梁課
 起工:昭和4年[1929]2月 
 竣工:昭和4年[1929]12月
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by kaguragawa | 2015-12-11 20:13 | Trackback | Comments(0)

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