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渡瀬ドクトルことW氏〔亘理祐次郎〕について(1)   

(以前、このブログに書いたものもふくめて、レポートをつくり直したので、あらためて掲載します。)

 「死に親しむ」の主要な登場人物で、他の秋聲作品にも「渡瀬ドクトル」の名で登場する医師で秋聲のダンス友達であったこの人物は、どのような人であったのか。
 今までの秋聲研究でも「亘理医師」という名が出るだけで、本人の探索はほとんど等閑視されている状況だった。本人の歿後、遺族が本郷の地を去り、消息がつかめなかったことによるのであろう。

 秋聲作品に〔渡瀬ドクトル〕エッセイに〔W氏〕などとして登場するダンス友達のご近所さんを、追ってみた。

1)
 今回、明治時代の医師名簿を国会図書館のデジタルライブラリーで繰っていて、次のような貴重な記載に出会うことができた。明治43年発行の『帝国医鑑』である。e0178600_2142142.jpg
【帝国医鑑. 第1編】(河野二郎 編/明43.5/旭興信所)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779910/81

宮城県平民 
     亘理 祐次郎
       本郷区森川町一 
       電話下谷七二八

君ハ明治五年十一月二日出生ニテ 遠田郡涌谷町立町ハ
其原籍ナリ
明治三十二年九月廿九日附 医術開業試験ニ合格シテ
免状ヲ受ケ 現所宮前一三六号ニ開業


2)
 大正時代末から発行された『日本医籍録』には、亡くなるまで記載がつづく。
 『大日本医師名簿』によれば、二人体制でやっていた時期のあることもうかがわれる。

【大日本医師名簿 大正14年4月 光明社】
 森川町一  亘理祐太郎   *「祐太郎」は誤植であろう
 同 亘理方 下平軍平 
【日本医籍録 大正14年 第一版】
 亘理祐次郎 森川町一
  明治五年十二月二日生 
  明治卅年 登 九九六七号
 

 *誕生日が、『帝国医鑑』と異なる。なお、「明治五年十二月二日」は旧暦最後の日である(翌十二月三日が、1873年1月1日となる)。秋聲は、旧暦で前年・明治四年末の生まれ(後述)

3)
【日本医籍録 昭和5年版/昭和6年版 両版】e0178600_21175227.jpg
 亘理祐次郎 森川町一
  明治五年十二月二日生 
  明治卅年 登 九九六七号
 
亘理祐邦  森川町一
  明治卅三年五月六日生 
  昭和二年 慶大医学部卒 登 五七三五四号


※この2年間の『日本医籍録』には、慶應医学部を卒業した「亘理祐邦」の名が列挙されている。他資料によれば、祐邦氏は「外科」の医師であることは間違いないので、「死に親しむ」の記述“外科の医学士である長子”が、事実に拠ったものであることがわかる。
※祐邦氏については、亘理医師について早くから情報を集めておられるkamei asamiさんが慶應大学側の資料のご確認をしてくださいました。感謝します。

4)
【日本医籍録 昭和7年版】
 亘理祐治郎 森川町一〇七
  全科 亘理医院 
  明治五年十二月二日生 
  宮城県出身 
  明治卅十年試験及第 登 九九六七号 
  明治卅六年四月現地開業 
  趣味読書


※この年度のものは、亘理氏だけでなく他の医師の記述にも、診療科名、病院名が記載されている。亘理氏の場合「全科」。住所の記載も、広範な「森川町一番地」ではなく、町内全域を街区に分け、連番をつけた「107」が使われている(徳田家は、「124」)。名前の「祐治郎」は誤植であろう。開業年月も、明治36年(1903)年4月と記されている。
 なお、この「107」の地番表記から特定される区画(別紙「火保図」参照」は、次ページの地籍図に記載された「亘理医院」の場所と一致する。

by kaguragawa | 2015-11-28 19:26 | Trackback | Comments(0)

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