竹内てるよの祖父竹内四郎   

tosukinaさま

 先日来、竹内てるよの名前を意外なところで見つけ、こっそり?調べていましたら、世田谷赤堤の渓文社時代の竹内てるよについて紹介されているページを見つけました。いろいろ確認しましたらこのページの書き手がtosukinaさんであることが判明!。お聞きしたいことが“山ほど”出てきました。

 今、わたしの方で言えることは、竹内てるよ(照代)の祖父・竹内四郎とは当時の富山県上新川郡新庄町(現:富山市)の旧家竹内家――江戸時代には、加賀藩奥山廻役の役職を担った――の二男(四男とも)であるらしいこと。祖母が同じく新庄町の浄土真宗・亀谷山正願寺の娘〔第16世住職の長女〕であることです。

 今、いくつかのことを確認中です。お暇な折に(この記事を見つけられましたら)、ご連絡くだされば幸いです。
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by kaguragawa | 2015-10-17 19:52 | Trackback | Comments(3)

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Commented by 1910822 at 2015-10-25 08:36
竹内てるよ
彼方此方に姿を変えてデータをアップロードしてあります。
最新は萩原恭次郎のウェブサイトで
http://danpen.blog.jp/archives/1002857100.html

               futei
Commented by 1910822 at 2015-10-25 08:42
続けて/竹内てるよの祖父
『アナキズム運動人名事典』執筆項目
http://members3.jcom.home.ne.jp/anarchism/takeuchi.html

釧路で判事をしていた父方の祖父母に引き取られる。

祖父竹内四郎は富山の旧家の四男。

自由民権にあこがれ自由党事件に連座して流刑、その後学び北海道で判事となる。

祖母は大きな寺の娘であった。

祖父が職を退いた後は貧しい生活を送り、竹内は14歳で働こうとするが肋膜が悪く正業に就けなかった

(自伝『いのちのある限り』竹内てるよ作品集1、宝文館刊、1947年発行)。
Commented by kaguragawa at 2015-10-25 18:57
コメント有り難うございます。偶然、竹内てるよの名前を目にして以来、1910822さんの書かれたものをスタートにいろんなことを学ばせていただきました。ほんとに偶然なのですが、月初めに、富山側の資料で、祖母の寺・正願寺のことがわかり、その辺りを突破口にして、少しずつ調べ始めました。なお、戦前のてるよの思想にかかわる別の情報もgetしましたが、もう少しその前後を探りたいと思っています。
祖父・四郎については、富山県人ゆえに、自由党の事件=「大阪事件」かと思いましたが、関係者の中には竹内四郎の名前はありませんでした。「海のオルゴール」には西園寺公望の東洋自由新聞のことも書かれてあるので、その線からも探ってみたいと思っています。「奥山廻り役」というのは、江戸時代の黒部を中心とし越中・飛騨堺に及ぶ加賀藩の山岳パトロールです。
掘り進めるためのいろんな情報、欲しいところですね。

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