よりによって今日、富山の「産業革命遺産」を訪う
2015年 05月 05日
その工場跡地に今も残る遺構の“赤煉瓦”は、「明治日本の産業革命遺産」そのものである。日本海側初の――しかも錘数1万を誇る――紡績「工場」だったといい(追記:今、調べた『富山県写真帖』(明治42)の記述には、「射水郡横田村に在り資本金十万円にして錘数一万九百余を有し日々三百六十余名の職工及び徒弟を使役し一年凡そ七千七百梱を産出す」とあり)、建物はイギリス人技師の建築によるものという。
追記:1893年創業の高岡紡績は、100年前の1915年11月、日清紡績に合併され日清紡績高岡工場となる。
by kaguragawa | 2015-05-05 22:21 | Trackback | Comments(2)
個人的には、“歴史遺産”は観光資源としてではなく、さりげなくしかし大切に、できれば現役の生活資源として永く保存、活用されてほしいと思っています。