「〈ある写真〉――」・・・ちょっとだけ補論   

 苫屋の如き貧しき我がブログに、先日書いた記事「〈ある写真〉――おお、夢二に抱かれた添田知道少年がいる 」(以下「17日稿」)の閲覧回数が異様にふえて、うれしくも、かつ、少し当惑気味である。

 「17日稿」に補いたいことも、補うべきことも、いくつかあるのですが(そもそも問題にした「写真」そのものが掲載されていません!)、今それらのことを補い整理して書くことができません。
 なによりも時間がありません。そしてパソコンが文章をつづれないほど不調なのです。(先の投稿は人のパソコンで書いたものです。)
 
 再整理の意味で、2点だけ書いておきます。
1)「17日稿」の前半は、決して私の「新発見」でも「新説」でないこと。明記したように、14年も前に、飯野正仁さんが、資料を挙げて「11月5日以前にすでに夢二とたまきは社会主義者の集会に一緒に出掛ける程の知り合いであったという事になる」と書いておられるのです。
2)私のささやかな疑問は、《たまき自身、夢二との出会いを「10月」であったと書いてるのに、どうして通説?が「11月」になってしまったのだろう》であることです。

 ――夢二と他万喜の写った1906年10月28日とみられる写真があることと、たまきの語る夢二との出会い時期が同年の10月5日であることはまったく矛盾していないのに、根拠のあきらかでない通説?だけが、不調和音を奏でているのです。

 新しい資料の発掘が容易におこなえるとも思われません、むしろ現在残っている資料をもっと厳密に確認することこそすべきことがらと思われます。が、「今」私には資料調査に許された時間がないという言い訳と、意見を寄せていただいた方々にも協力がいただければ有り難いなあというお願いを、添え書きしておきたいと思います。
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by kaguragawa | 2015-02-20 22:41 | Trackback | Comments(3)

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Commented by tosukina at 2015-02-23 20:27
1906年運動会の写真アップロード
以前、同志社大学の人文研のプロジェクトに参加した際に担当した添田唖蝉坊の伝記書誌を新しくブログにアップロードしました。
件の画像もアップロードしてあります。

http://1906-1909.blog.jp/archives/1020404930.html
Commented by tosukina at 2015-02-25 10:22
 昨日、僥倖なことに「彷書月刊」の当該号、仕事への移動途中にある世田谷のローカルな古書店にて200円で入手。(夢二晩年の旧居跡から2㎞、中野重治旧居跡地から至近に位置する豪徳寺商店街の古書店)。
比較探求ということでご指摘画像も補足としてアップロード、URLもリンクしました。
Commented by kaguragawa at 2015-02-25 23:05
隠しポケットをたくさんもっているベテランのマジシャンのごとく情報が眼前にみごとに並べられていき、驚嘆しつつ感謝しております。
豪徳寺というと明日命日を迎える渡辺順三のことを思い出します。
有り難うございます。

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