無知ゆえの周章狼狽と驚天動地   

(1)
 ごていねいにも、今日〔10月6日〕が西出朝風の誕生日ですよ、と教えてくださった方がある。この方は、いつぞや私がこのブログに朝風の誕生日が8月1日だと書いたことを見つけられて、ご意見番?としてご注意くださったようである。

 で、ちょっとあわてました。西出朝風のことは、夢二との関連だったかと思うが書いた記憶があったのですが、朝風の誕生日まで書きこんだ記憶は無かったからである。確認してわかった。なんと、4年前に書いた《8月1日――犀星と賢治の生誕の日に》の項に、“夢二の世話をした西出朝風――彼も八朔の生まれ――はなんとこのとき千日町に住んでいて犀星の近くにいたのです。”の文章があるのだ。もう完ぺきに忘れていたのですが、確かに、私が書いた文である。

 そして、「西出朝風」を検索してみてもう一度あわてた。web上にある情報は、どれもが、朝風の生誕の日を〔10月6日〕としているのだ。朝風誕生=8月1日説?は、私の勘違いなのであろうか。とすれば、私はそんな誤説をどうやってでっちあげてしまったものなのか?。e0178600_17123698.jpg

 私のあわてふためいたドタバタは、割愛させていただいて、私の情報の出処だけを書いておきます。
 “西出朝風は明治十八年(一八八五)八月一日(戸籍上、自称は明治十七年十月六日)、父西出孫一、母エキの長男として石川県江沼郡大聖寺町字耳聞山百廿一番地(現在の加賀市大聖寺耳聞山121―1)に生まれた。”   〔敷田千枝子『口語歌人 西出朝風』(2007.10/短歌研究社)*1〕

 敷田さんご自身は――その根拠を書いておられないのが残念ですが――戸籍上の8月1日を西風の誕生日として扱っておられることが、この本の他の個所の記述からうかがわれるのだ。私の記述も、この敷田さんの敬すべき労作に信を置いているとだけ書いておきます。

*1『口語歌人 西出朝風』の表紙絵は、夢二が朝風の三女・早月さんが生まれたとき(1922)に祝いに送ったもの。エンドウのさやから女の子が顔をだしている。


(2)
 そんなことから発して、これもにわか勉強の経緯は割愛させていただくが、あの函館市街地の夜景をみるスポットとしても有名な「函館山」が「西出山」と呼ばれていたことも知って、これはひっくり返るほど驚いた。この山が、西出孫左衛門の持ち山だったからだというのだ。
 歌人の西出朝風は知らなくても、北前船主としての加賀橋立の西出家とその歴代の西出孫左衛門の名をご存じの方もあろうし、西出家と函館や小樽の関係も歴史家の方には周知のことなのだろう。私など堀田善衛のこれも北前船の廻船問屋堀田善右衛門商店のことを少し調べて知るようになって、橋立の西出孫左衛門家や瀬越の広海二三郎家のことも少し知るようになったのだが。
 それにしても「函館山」ひと山を所有していたという――正確なところはきちんと確認したいと思っていますが――北前船交易のとてつもなさと、それと同義でもある歴史のとてつもなさには、驚きいるしかないのです。
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by kaguragawa | 2014-10-06 22:00 | Trackback | Comments(0)

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