明治11年11月19日付け:家人宛て海内果書簡   

Mさんへ

 前略
 【明治11年11月19日付け:家人宛て海内果書簡】は、海内果にとってもそこに登場する津田仙にとってもかなり重要な意味をもっているのではないでしょうか。
 書簡には、いくつかのことがらが記されているようですが、とりわけ私にとって興味深いのは、《11月16日の、津田仙・海内果の二人同道での大清公使館訪問》です。
 このことにつき、以下、メモ書きで失礼ながら、思いつきを何点か書いてみました。

A)海内にとって

●この書簡に《張斯桂》の名が登場すること。海内果は、のちに、父・久五郎の顕彰碑の篆額部分の書を張斯桂に依頼することになるのですが、そのきっかけがこの日の、海内と張斯桂の出会いと詩文の交換にあると思われること。そういう意味で、海内の事蹟研究にとっても、たいへん重要なものであること
 〔なお、同年12月9日の家人宛て書簡で、e0178600_187317.jpg帰省が来年3月になる理由の一つとして「支那ノ張斯桂何如璋ノ二公使ニ先日書ヲ頼ミ置キタレドモ未タ出来ザル」と書いていることから、11月16日の訪問の時点で、既に書を依頼したのでは、との異論があるかもしれません。
 しかし、当該19日書簡に、書の依頼のため公使館を訪問したと明記されていないことから、親交を結んだ張斯桂を後日(あまり日をおかずに)、あらためて訪ねて書を依頼した、と考えた方が自然だと思われます。〕


 左は、父の顕彰碑の篆額部分。張斯桂の書《海内不染居士之碑》

●この日の友好的な交歓が、東京日日新聞の12月27日の海内記事「朝鮮及ビ支那ノ貿易ニ従事スル商估ニ白ス」に反映していること。この点(大清公使館の訪問、公使(副使)との交情、それを踏まえた対中国観のありよう)も、海内の発想や思想を追跡する場合、大事な点であろうと思います。

●ところで、どういう経緯で、津田仙、海内果の《二人が同道で》、大清公使館に行くことになったのか、そこが知りたいところです。
 このことを考える前提に――最初の上京後間もなく(明治10年2月)海内果が津田仙を訪ねて以来、――海内と津田がどのような関係にあったのかを、押さえておく必要があります。が、それはともかく、今、判明している限りでも、この大清公使館の同道訪問は、海内と津田の交流の一つの出来事として、たいへん大きいものだと思います。

B)津田仙にとって

●津田仙研究にあっては、海内果との交流はまったく知られていないようです。
 最新のまとまった津田仙研究として歿後100年の2008年に発行された高崎宗司『津田仙評伝』がありますが、これに海内の名は登場しません。
 高崎氏が、明治11年の津田と海内のこの大清公使館訪問をご存じないことは、『津田仙評伝』の第六章「朝鮮人との交わり」の「六 中国視察と天津栗」が、麻生幸二郎氏の宇喜田秀穂の伝記から「恩師津田先生が支那人と交わりが深かった」との間接情報を引用する一方で、津田仙と中国とかかわりについて、津田の明治38年の渡清以前についてはまったく情報がないことを明記しておられることからも、明らかです。

・・・以上のように、
A)
 海内と津田の交流については、海内側にいくつかの資料があるので、そこを入り口に、ていねいに掘り起こすこと。このことは、海内の「農」との関わりを“あらためて”問うという側面をもっているでしょう。
(なお、津田仙については、先日も申し上げたように、《橘仁、稲垣示、海内果。この3人の嘉永年間生まれの射水人》がそれぞれに違った側面で津田と関わっていること、たいへんおもしろいことと思いますが、どれも具体的な掘り起こしはこれからです。)

B)
 津田の中国とのかかわりについて検討する場合に、この海内書簡が決定的に重要なものであること。周知のように、津田と朝鮮のかかわりは、かなりの研究の蓄積がありますが、津田の中国とのかかわりについての検討は、上記のように手つかずの状態であると言って良いのではないでしょうか。
 この明治11年11月の訪問が、清国公使館が永田町にでき、 e0178600_18334754.jpg何如璋公使、張斯桂副公使(副使)が着任次第の早々の訪問であることも、着目しておくべき点であろうと思います。

 以上、未整理のまま書き連ねましたが、また津田仙の背景などお気づきのことがありましたらご教示ください。


 ※写真は、清国公使館
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by kaguragawa | 2014-09-10 22:43 | Trackback | Comments(0)

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