明治9年の岸六郎の動向   

 今日は岸他万喜の命日。命日にちなんで、最近、明治9年のある史料のなかに見つけた他万喜の父・六郎のある動向を紹介しておきます。

(明治九年)五月四日
 午後十時出区、笠間君改正所へ出役、昨夜高岡会所より石川県官員新川県事務引き受けに今夜高岡泊りにて明五日当所御通行にて富山へ御出之由報知其名簿如左
 元新川県事務引受として出張官員

権令 桐山純孝

(第一課から第六課の官員15名の名前省略)
裁判所
 四課兼八等  津田弘
 中属     秋山恕明
 少属     岸 六郎
 十二等    米林貫一
 権少属    安達正輝
 
 通計二拾一名


 この史料は、直前まで新川県であった現在の富山県の県域全体が石川県に統合〔1876(明治9)年4月〕されたことに伴い、石川県の官吏団が事務引受のため富山に向かうことになり、その道筋の村役人(第十四大区副区長)にその知らせがきたことを記録した一節です。
 この史料は、六郎が富山の地に司法官として赴任したのが――明治16年(林えり子『竹久夢二と妻他万喜』。なおこの年、富山県が石川県から独立)ではなく、――新川県が石川県に統合された明治9年であることを示唆しているのではなかろか。それは岸六郎が、現在の金沢市域に生まれた士族(元加賀藩藩士)であることを考えれば、自然なことであるとあると思うのですが・・・。

 なお、引用した史料(日記)は、当時第十四大区副区長を務めていた中老田村の海内果が記したものです。

〔追記〕
 今日は、台風8号の影響で、沖縄や信越地方でもの凄い量の雨が降り被害をもたらす一方、北陸地方は、朝からフェーン現象の暑い一日でした。とりわけ富山は37.1°の全国最高気温を記録しました。その中、他万喜のねむる浅岡家――他万喜の長女の養子先――の墓参に(富山市長岡霊園)。

〔追記:7.12〕
 Iさんから『原資料に官員と書いてあるものを、かぐら川さんは「司法官」と書いておられますが、彼らは「行政官」であって「司法官」ではないのではないでしょうか。』と、お尋ねというより詰問?をいただきました。さすがIさん、当時の判事職も、「行政官」です。そこに名前の挙がっている「津田弘」が“四課兼”と記されていることもふくめ、この点、別項で、少し書いてみたいと思います。
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by kaguragawa | 2014-07-09 22:50 | Trackback | Comments(0)

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