夢二と菅原教造
2014年 06月 16日
そこには、「カモフラージ」という稿が《菅原教造》の名で載っていて、夢二との関係も不明ながらそもそもまったく存じ上げない名で、不思議な思いで眺めていました。
少しわかってきたこともあるのですが、最近なぜか《「どんたく図案社」の雑誌『図案と印刷』》の項がよく閲覧されているので、第一次報告?として――その筋の方々には良く知られた方かも知れず、「報告」などと言うのは不遜・・・という気もしますが――次のことだけ、メモしておきます。
菅原教造については、菅原教造『服装概説――菅原教造先生遺稿集』(柳澤澄子編/1989.5/近藤出版社)というユニークな本があり、そこにはごく簡略な略年譜があること。
(ただし、ここに収められているのは服飾学に関する晩年の論考で、大塚保治門下の菅原教造の心理学、美学の分野での広範囲な業績をフォローしたものではありません。)
「戦前期の高島屋百選会の活動――百選会の成立とその顧問の役割」(2013)という論考を中心に山本真紗子さんの論文が、web上で読めること。この高島屋百選会での活動がどこかで夢二と結び付いたのではないかと思います。といっても、夢二と高島屋――当時、1916(大正5)年から1923(大12)年まで〔京橋区南伝馬町1丁目8番地〕に店舗があった――を結ぶ線が私には見えてないのですが・・・。
*菅原教造 1881~1967.08.20
by kaguragawa | 2014-06-16 22:42 | Trackback | Comments(0)