6月10日 夢二、黒部峡谷に遊ぶ
2014年 06月 10日
今では黒部峡谷はトロッコ電車で知られる観光地になっていますが、夢二が宇奈月をおとずれトロッコ電車に乗ったのは、観光用のそれではなく工事用のまさしくトロッコ電車でした。――そんなことをいつか書いた記憶があったので、探し出しました。以下は、3年前に書いたものの再録。
1928(昭3)年、翁久允(おきな・きゅういん)に誘われた夢二は、1928(昭3)年6月10日、黒部峡谷に入り新緑を堪能したのでしょうか、その夜は宇奈月の延対寺旅館(別館)に泊り、11日は富山市内の富山ホテルに泊っています。そして数日富山に滞在しています。
夢二一行は、黒部峡谷を訪れた観光客の中でも早い方でしょう。現在は温泉地として知られる〔宇奈月〕は、化学者高峰譲吉の創案によって始められた黒部川電源開発の前進基地として開かれたところです。ここが温泉地となったのは大正時代のこと、工事用の文字通りトロッコ車線として峡谷に沿って狭軌の線路が宇奈月からさらに上流の猫又まで開通したのが、夢二たちが訪れるたった2年前のこと。もちろん観光用ではありません。夢二らをここに呼んだ富山出身の翁久允の人脈による手配によるものでしょう。半ば観光用に開放され「便乗ノ安全ニ付テハ一切保証シマセン」と書かれた乗車証が発行されるさらに一時期前の夢二の新緑(深緑)の旅だったはずです。
夢二が宇奈月で泊った「延対寺荘」は、もと高岡駅前(高岡市末広町)にあった旅館ですが、延対寺荘の高岡駅前時代、同じ末広町内には岸六郎やその娘夫妻(堀内喜一・たまき夫妻)がいました。夫・喜一の死後、上京し夢二の妻となるたまきです。何か不思議な縁です。というのは、宇奈月を訪れた頃、夢二とたまきの関係終わっていましたが、宇奈月を降りて富山に向かった夢二はたまきの姉・水上夫婦の世話になっているはずだからです。
追記:2016.03.20
上の記述の末尾「水上夫婦の世話になっているはず」は、訂正が必要だと思われますが、確たる事実がつかめてないので直せないままになっています。
水上峰太郎はこの1928年の時点で、富山にいない可能性が強く、しかも数年後に亡くなっているようなのです。
いずれにせよ、夢二のこの黒部峡谷行は、行程もふくめかなり具体的なことがわかってきたので、全面的に書き替えたいと思っています。
by kaguragawa | 2014-06-10 20:46 | Trackback | Comments(2)
久しぶりに思いだしました。