地下から江戸時代の水路が!(2)   

e0178600_1956651.jpg
 つきあたりの土壁の青いUの字型のマーキングが明治時代の水路跡。これをさらに掘り下げると江戸時代のさらに幅の広い水路跡が出てきたというわけ。

 なお江戸時代のこの区境は水路跡が地表から消えてしまった今も生きていて、背割水路の左(北側/もと武家地)が〔現:富山市総曲輪三丁目〕、右(南側/もと町屋地)が〔現:富山市一番町〕と、町域の境となっている。
[PR]

by kaguragawa | 2014-02-11 20:00 | Trackback | Comments(0)

トラックバックURL : https://kaguragawa.exblog.jp/tb/21673742
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。

<< 他万喜と岸辺福雄・東洋幼稚園 地下から江戸時代の水路が!(1) >>