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初冬の伏木街歩き   

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 いろんなことが気になり、急に思い立っての伏木探訪とあいなりました。
 写真は、伏木近代化に先頭的かつ戦闘的役割を果たした藤井能三の銅像。能三は、堀田善衛の祖父・善右衛門(善五郎)と同年〔弘化三年(1846)〕の生まれ。
 伏木小学校敷地の一画、能三公園に、伏木港を望んで立つ。

 伏木小学校は、堀田善衛の母校〔当時は、伏木尋常高等小学校〕だが、能三像(初代)は、堀田善衞が入学する3年前の1922年に創校50周年記念として建てられた。シルクハットを右手に持つ初代の像は戦時中に台座(吉田鉄郎の作)を残して供出させられ、これは二代目(1952年)のもの。
 なお、堀田善衛が在学した頃の校舎(男子校舎)跡はグラウンドになってい、往時の運動場が現在の校舎になっている。初代の銅像は、この旧校舎の前に立っていた。

 
 午前中は小春日和の好天。伏木の高台から立山連峰も眺めたが、そのころ真砂岳では大きな雪崩が起きていたころだ。

by kaguragawa | 2013-11-23 19:47 | Trackback | Comments(1)

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Commented by k-tani at 2013-11-27 23:27 x
当方ブログで伏木小学校の「女坂」についてのお尋ねがあったので、伏木小学校卒業者のおふくろに聞いてみました。
おふくろが在学当時、伏木小学校は、男子用(男組)校舎と女子用(女組)校舎が別でした。
伏木神社の参道の石段直下左側の坂を男坂、石段の少し図書館よりの十字路を伏木神社に向かって右折して禅龍寺で左折してからの坂を女坂というのだそうです。
男坂は急で女坂はなだらかです。
男組で悪さをした児童には、「女組までいってこい」という罰があったそうです。
以上。聞き書きでした

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