“三尖塔校舎”―旧制・金沢第二中学校
2013年 10月 27日
(旧制)金沢二中こと「石川県立金沢第二中学校校(*)」の校舎は、1948年から1970年までは、金沢市立紫錦台中学校の校舎として、後は「金沢市民俗文化財展示館」(1978)を経て「金沢くらしの博物館」(2007~)となっている。1899(明32)年建設の校舎“三尖塔校舎”は、石川県有形文化財。
*石川県第二中学校(1899)→石川県立第二中学校(1901)→石川県立金沢第二中学校(1907~)
堀田善衛が在籍したのは、1931(昭和6)年から1936(昭和11)年まで。
「紫錦台(しきんだい)中学校」の名は、下掲の金沢二中校歌中の「紫錦が陵(にしきがおか) 」によるという。
金沢二中校歌
加陽の巽 神秀の
元気凝りて重む所
尖塔碧き雲に入る
紫錦が陵の学窓に
集ふ健児は七百人
翳す剛健質実の
旗章に梅の操あり
作歌 川角捨兵衛
作曲 大西安世
なお、金沢二中は、1963(昭38)年、「石川県立金沢錦丘高等学校」が後継高となった。2004年(平16)年、「石川県立金沢錦丘中学校」の新設に伴い併設型中高一貫校となっている。
by kaguragawa | 2013-10-27 22:29 | Trackback | Comments(0)