八尾の吉井勇   

 きのう奥野達夫さんの講演「ことばの作家・棟方志功」の中で、『流離抄板画巻』に結晶する棟方志功と吉井勇の交流の話を聞いてSさんとの約束を思いだした。
 
 “あの柴田理恵のお母さんが吉井勇に歌の指導をしてもらったんだってさ”と、いつもながらのいい加減な話をした際、Sさんから“もうちょっときちんと聞かせろよ。”とリクエストを受けていたのでした。 きょうは、おわらの第二夜。というわけで、今日も「八尾」話題です。

 富山の方ならご存じのことですが、柴田理恵さんは八尾町の出身です。そして理恵さんのお母様柴田須美子さんは、八尾の「宮田旅館」という老舗旅館の四女の――旧姓でいうと――宮田須美子さんなのです。
 そして1945(昭和20)年2月、この宮田旅館に吉井勇が疎開してきたのです(小杉放庵が川崎順二に頼んだのではないでしょうか)。理恵さんのお母さん須美子さんは当時“女学生”でした。
 以下は、柴田理恵『台風かあちゃん』(潮出版社/2011.5)からです。

 「吉井先生は、散歩に出る時、「フサちゃん、スミちゃん、行くぞ」って、よく私の母と伯母を誘ったそうです。歩いている途中で「今から歌を詠むから、君たちも詠みなさい」と歌をつくらせる。そして散歩の途中、喫茶店に入っては、母たちにご馳走しながら、彼女たちの作った歌を読み、「これは良いね」「ここはこうしたほうがいい」と批評してくれたん だとか。とても贅沢な時間だったと、母は今でも懐かしそうに話してくれます。
 確か吉井先生の詠んだ歌が、歌碑として旅館の玄関のところに立っているはずです。」


〔追記〕
 柴田理恵さんが紹介してくださった宮田旅館の玄関にある歌とは、

   旅籠屋の古看板に吹雪して
      飛騨街道をゆく人もなし


 吉井勇が八尾に疎開した1945年、おわらはおこなわれなかった。敗戦直後のこととて、やむをえまい。勇は9月末に京都に戻る。八尾の吉井勇については、いずれ続稿を書きたい。
 そうそう、Sさん、柴田理恵さんのこの本『台風かあちゃん』、写したのはごく一部ですが、とてもとてもおもしろいですよ。
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by kaguragawa | 2013-09-02 20:33 | Trackback | Comments(0)

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