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小原節保存会設立総会に夢二が   

 おわら風の盆を眼前にして、ずしりとした『おわらの記憶』(おわらを語る会編/桂書房/2013.8)を勝山さんの手からいただくことができた。この興味津津たる本についてはしっかり読んであらためて感想も書きたいのですが、ぱらぱらとページをめくっていたら“竹久夢二”の名を目にしたので、ここに写しておきます。1929(昭4)年の新聞記事である。
 昭和の初年に川崎順二らの尽力によって(1928年に小杉放庵の新詞、1929年に若柳吉三郎の新振付)、おわらが一つの画期を迎えたことは、おわらの歴史で特筆されるべきことだが、1929年設立された小原節保存会設立総会に竹久夢二が――翁久允がひっぱってきたのであろう――出席していたらしいのである。

 以下、(注)もふくめ、『おわらの記憶』の「資料編」からの引用である。


(富山新報 昭和4年8月13日付)
郷土芸能小原節
保存会設立総会
十一日諸名士を迎へて
 来月一日から実地宣伝

 婦負郡八尾町にては県知事、内務部長その他中央芸術界の大家を顧問として組織せる小原節保存会の設立総会を、十一日午後四時より同町八尾劇場に於て開催した。
 県よりは各顧問を代表して清水商工課長の出席あり。来賓として竹久夢二、翁久允、水木伸一、藤田健次、若柳吉三郎、同吉美津の名士を迎えて盛大に開会され、同会の創立の功労者、川崎順二氏を主事に推薦し、各役員の選挙、保存会の主意等を協議決定し、来賓諸氏の祝辞、講演ありて、同六時閉会。次いで、小原節の実演に移り、各名士の批判を受けて午後八時四十分、盛会裡に散会した。
 しかして、来る九月一日夜より三日間、風の盆を好期として改良小原節を以て町内を練り回り、大いに郷土民謡の宣伝に努むることになった。


(注)「富山県及び県人」(昭和4年9月号)では、当日出席した主な主賓として翁久允、藤田健次、水木伸一、浅生豊の名が挙がっている。富山新報には、竹久夢二、若柳吉三郎夫妻も記されているが、実際には出席したかどうかは確認できない。

〔追記〕
 この中で、藤田健次はあまり知られていないようなので、下に生没年のみメモしておきます。野口雨情の弟子筋の民謡詩人とでもいう人でしょうか。藤田健次、水木伸一、麻生豊らはやはり翁を中心にした交友(交遊)メンバーというべき人々ですね〔上記(注)中の「浅生豊」は原文のママです〕。確かこのメンバーでこの年5月、草津温泉に遊んでいますね。

  *藤田健次 1894.01.25~1968.06.25

〔追記:2014.6.18〕
 上記の“藤田健次”――夢二がその表紙を描いたた雑誌『民謡詩人』の編集人――が、なんと富山県立山町の出身であったことを中山輝さんの書かれたものの中で知って驚いたのですが、私が余戯?で藤田のことを調べているのとは別に、藤田健次のことを追っておられる方があることを今日知ってこれも驚きました。
 この件、いずれK先生のご教示を得て、更なる追記ができることとなると思います。では。

by kaguragawa | 2013-08-31 19:52 | Trackback | Comments(0)

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