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京都に霜川の父を訪ねて(1)   

 三島霜川の父・重法とはどのような人物であったのか――。

 ある用件ができ京都に出向いたついでに、私は四条烏丸に足を運ふことにした。
 京都の三島重法の跡をたずねるためである。突然の偶然が恵んでくれた――それゆえに何の準備もないままの――京都行は、私にとって、霜川父子〔父・三島重法と子・才二〕を、たずねる旅の最初のものとなった。

 ある方が写しを残しておいてくださった三島家の除籍謄本には、父・重法が明治7年5月20日から12年3月まで、京都府下烏丸通四条下ル水銀町安原一郎方に寄留していたことが記されている。
 霜川(才二)の戸籍上の出生の日が、明治9年7月30日になっていることは、以前書いたとおり。とすれば、霜川(才二)の出生のとき、父・重法は京都に寄留していたのである。
 ――この事態をどう考えたらよいのか、この戸籍に記されている「烏丸通四条下ル水銀町」とはいったいどのようなところか、自分の目で確かめたい!、以前からのこの思いが、霜川の誕生日の直前に実現されることになったのだ。

 140年前の京都の「烏丸通四条下ル水銀(屋)町」が、どんなところであったのか、それがわかるにせよわからないにせよ、そこに足を運ぶことが、霜川のこの世へ出た時空に迫るためには避けてとおれない入口になる・・・、そんなことも思いながら、地下鉄の四条駅を地上に出た。

by kaguragawa | 2013-07-27 22:34 | Trackback | Comments(0)

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