堀田善衛、生誕の日   

 95年前の今日〔1918(大7)年7月17日〕、我が富山県の港町・伏木(高岡市伏木地区)はどんな天候だったのか・・・。最近の猛暑や豪雨を思うにつけ、ちょっと気になり、調べてみました。一世紀近く前の一地区の天候がわかるのか、と思われる向きもおありかと思いますが、当時、伏木には「測候所」があり、幸いなことにこの地区の当時の気象記録が残っていて、それをweb上で見ることもできるのである。
 (この伏木測候所は、同地の廻船問屋の当主・藤井能三よって1882(明15)年につくられた私設の!測候所。1887(明20)年に富山県に移管。なお1918(大7)年当時の所長は、――3年後〔1921年〕台風来襲に際し警報発令の不手際の責を一身に負って自死した――大森虎之助氏。参照:新田次郎『迷走台風』)

 その伏木測候所記録によれば、95年前の《7月17日》――伏木のこれも廻船問屋・堀田家の三男として生を享けた堀田善衛の生誕の日――は、「晴れ」だったようである。が、翌18日には57ミリの雨量が記録されていてかなりの雨量である(実はこの日が7月の最大雨量を記録した日)。それも明け方から昼前に集中して降ったようである。前日の16日にも22ミリの雨量が記されているから、堀田善衛の生まれた17日は梅雨明け前の不安定な天候の「晴れ」のなか日だったようなのである。

 そしてここからは余談。堀田善衛の生まれた数日後に、伏木の港に招かれざる?一隻の汽船があわただしく来船した。越中の女一揆とも呼ばれた「米騒動」勃発の渦中にあった伊吹丸が、積みこむはずの米を積まずに(積めずに)、魚津から伏木に緊急避難?!したのである。

 県東部の港で米の積み出しを阻止しようとして起こったこの年の米騒動は、県西部の米の積み出し港であった伏木にも飛び火したのであろうか。そんなことも堀田善衛の米騒動への言及と併せて掘り起こし、いつか書いてみたいと思っています。
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by kaguragawa | 2013-07-17 22:36 | Trackback | Comments(0)

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