三木露風書簡の秋聲と霜川(3)
2013年 01月 30日
話は、重なり合う《徳田秋聲と三島霜川》と、《小説『黴』の笹村と深山》の2つの物語〔ヒストリーとストーリー〕を行ったり来たりしますが、『』が秋声の実人生をベースにして書かれているからです。以下、「笹村=徳田秋聲」、「深山=三島霜川」として、読んでくださされば、けっこうです。
『黴』に描かれた笹村と深山の――同居開始後数ヶ月でおとずれた――「絶交」が、話の起点になりますが、その前後のいきさつは略します。
そして、「旧(もと)の友情の恢復」がやってきます。(『黴』はそれを絶交の3年後としているのですが、これを実際の秋聲と霜川の関係に置きかえると、いったん関係が絶たれたのは明治35年の夏、関係の修復は明治38年ということになります(*1)。)
深山は、笹村との共同生活から離れて、絶交3年後の時点では「ある人の別荘の地内にある貸家の一軒」に住んでおり、ここに笹村も訪ねてきます。ここを舞台に「旧(もと)の友情の恢復」の情景が印象的に描かれることになります。
深山はそのころ、そっちこっち引っ越した果て、ずっと奥まったある人の別荘の地内にある貸家の一軒に住まっていた。笹村は時々深い木立ちのなかにあるその家の窓先に坐り込んで、深山が剥(む)いて出す柿などを食べながら、昔を憶い出すような話に耽(ふけ)った。庭先には山茶花(さざんか)などが咲いて、晴れた秋の空に鵙(もず)の啼き声が聞えた。深山はそこで人間離れしたような生活を続けていたが、心は始終世間の方へ向いていた。
「ずっと奥まったある人の別荘の地内」とは、霜川の実人生に即せば、本郷の北、現在の山手線「駒込駅」の南にあった――「北豊島郡巣鴨町上駒込28番地〔現:豊島区駒込1丁目から文京区本駒込5丁目にかけて〕――「木戸侯爵染井別邸」の広大な屋敷地のことです。現在の六義園の、本郷通りをはさんだ、東にあったこの屋敷地は、もと江戸郊外の本郷丹後守(旗本)の屋敷地だっただけに森のような場所だったようですが、今は分割され、大きなマンションなどがいくつも立ち並ぶ区域になっています。
ここ「木戸侯爵別邸」に、何の縁があったものか霜川はもぐりこむように入り込み、住んでいたのです。
・・・そうそう、忘れずに書いておかねばなりません。明治39年9月、住むところの無くなった三木露風が霜川の温情で?ころがりこんだのも、この駒込の侯爵別邸だったのです。
*1)秋声と霜川のこの関係の「恢復」は、実際は、おそらく絶交半年後の明治37年前半からなされていたのではないかと思われます。そうしたことの跡付けをすることは、興味深い課題ですが、ここでは割愛して、小説の展開に従い「恢復」を端的に明治38年として、話を進めてあります。
by kaguragawa | 2013-01-30 19:48 | Trackback | Comments(0)