三木露風書簡の秋聲と霜川(1)   

 以下に紹介するのは、三木露風が岐阜の小木曽旭晃宛てに出した手紙の一節である。(引用は安部宙之介『続・三木露風研究』(木犀書房/1969.5)から)
 三木露風のことをよくご存じの方はこの書簡のこともご存じかも知れませんが、そんなに広く知られたものではないと思います。少なくとも、私はきのう初めて読んだものです。徳田秋聲資料としても、三島霜川資料としても大変貴重なものです。
 なお、発信日は不明ですが、それをほぼ特定できるキーワードがいくつも見られます。「徳田秋聲君の愛児が大病で入院中でしたが、此度全快」の文言からは、秋聲の『黴』の一節を想起される方がおられることでしょう。文学史的にもおもしろそうな話題がちらばっています。というわけで、一部略して、書き写しておきます。


 美濃長良河畔の別れは忘れがたい詩です。山鳩誌友会は盛んでしたでしょう。折角美濃に在住して其の席に連なることが出来なかったのは返す返すも残念至極です。
(一部略)
 野口安から原稿到着の由、安心せり。正富及び前田の原稿は成るべく急がせましょう。〔前田〕夕暮、〔正富〕汪洋氏とも「野の花」及び「ホノホ」とは追い追い関係を断つようにいっていました。しかし山鳩には無論以後永く寄稿させます。それだけは確かです。来月分に僕も御厄介になりましょう。
 今夜、〔正富〕汪洋と痛飲して、詩壇を罵り大いに溜飲を下げた。今別れたところです。汪洋の「小鼓」という詩文集は愈々来月下旬、佐久良書房からでることになりました。〔伊藤〕銀月一人だけ序を書いているようです。奇警なこの作物がいずれ近々に新聞か雑誌に現われるでしょう。本郷座で「無名氏」という脚本を興業しています。西村酔夢が訳した西洋の小説ですが、なかなか評判がよろしい。
 以後僕がよる雑誌はしばらく黙っておきましょう。しかし、意外な処にあらわれますよ。どうかご注目なさってください。新聞では読売日曜文壇に頻りに書きます。読売新聞をご覧になっていますか。
 「白鳩」は来春まで休刊することに決しました。徳田秋聲君の愛児が大病で入院中でしたが、此度全快、赤飯をふるまわれました。因みに同君の小説「おのが縛め」という長篇は苦心の作で万朝に掲載することになりました。
 「夢の華」は立派なものです。なお鉄幹晶子共選の青年新派歌集「常世」という詩集も近い内に出るでしょう。〔相馬〕御風、〔片山〕天絃、〔小川〕未明は早稲田文学に入社。三島霜川は近き内に「霜川集」と称する散文小説の立派な単行本を出す由。尾上柴舟の此度の詩集は多分「白塔」と題せらるでしょう。きょうはこれまで。秋風寒し。偏に自重を祈る。
  旭晃兄 硯北
                露風生


 上に日付不明と書きましたが、この旭晃宛ての書簡が書かれたのは、おそらく1906(明治39)年の9月下旬でしょう。露風が美濃新聞をやめて岐阜から東京に戻ったのが9月23日、秋聲の「おのが縛」の万朝報連載が始まるのは10月2日から――『徳田秋聲全集』別巻の「徳田秋聲年譜」(松本徹)による――だからです。なんといっても、私が霜川資料として注目したいのは、「三島霜川近き内に「霜川集」と称する散文小説の立派な単行本を出す由。」の一文なのですが、これについては、最後にふれることとして、まずこの当時の露風、秋聲、霜川について書きたいと思います。


〔追記〕
 岐阜の文人・小木曽旭晃(修二/おぎそ・きょっこう)――当時、文芸誌『山鳩』主宰――は、131年前のきのう(1月25日)が、生誕の日だったようである。
  * 小木曽旭晃 1882.01.25~1973.10.27
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by kaguragawa | 2013-01-26 16:04 | Trackback | Comments(0)

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