中田辰三郎さんのこと(4)
2013年 01月 20日
中田辰三郎
【住】本郷区駒込動坂町一一〇
【電】小石川三一七七
氏は、慶應二年一月十五日福島県若松市に生る。明治二十一年慶応義塾卒業、福澤諭吉氏の主宰せる時事新報等の新聞記者生活を送り、同三十九年十一月現地に演芸画報社を創立。同四十年一月より月刊雑誌「演芸画報」を発刊、多年の蘊蓄を之に傾注し我国演芸の発達に少なからざる寄与をなし、発行部数は無慮五万部と註せられる。
同社は市電駒込神明町車庫前停留所に近く木造二階建の店舗を構え、社員十名によりて近代的色彩を多分に盛りて優麗典雅なる演芸画報を出版、世人の均しく愛読する所となる。該発行署名人は小出治部太氏にして氏もまた他の社員を督励し同誌の編纂に努力す。
政治的方面に関心を持ち、又読書に親しみ、真宗を奉ず。りう子(五九)夫人との間に長女みな子(六)さんあり。
〔追記〕
この『全国書籍商総覧』の記載と戸板康二氏の『演芸画報・人物誌』によって、中田辰三郎氏の生歿年月日が――裏付けはとれていませんが――、わかりました。有り難いことです。(霜川の10歳年上、亀之助の20歳年上となります。)
中田辰三郎氏は、「福島県若松市」(若松市は、1955年に会津若松市に改称)の生まれとありますから、水守さんの描く人物像と短絡的に結ぶわけにもいきませんが、気骨のある会津人だったように見受けられます。
*中田辰三郎 慶応二年一月十五日(1866.3.1)~1942(昭17).4.5
by kaguragawa | 2013-01-20 12:33 | Trackback | Comments(3)
『演芸画報』の中田辰三郎や小出治部太は、三島霜川との関係で知りたいと思って調べています。
今、あらためて検索すると小出治部太さまについては、『出版社調査事典―昭和戦前期』(1933/復刻版・金沢文圃閣・2017)に立項されているようですね。さっそく、来週、県立図書館に行ってみたいT思います。曾祖父さまのこと、出身地や生歿年などについてご存知のこと教えていただければ幸いです。
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