初日の出 (三島霜川)
2013年 01月 03日
「もう直にお雑煮をいただくんだよ。早く顔を洗っていらっしゃい。」
祖母は、ふと後ろを振り向いていった。私は軽くうなづいた。
「今日は昔風に、門(かど)の川で顔を洗ってきましょう。」
といいながら、土間へ飛び下りて、草履を突っかけた。そして、躍るような勢いで外へ飛び出した。
見ると、東の空には、藍やら、紫やら、瑞雲群がり立って、その底の底の方には、微かな紅が見透かされる。
「ほ!、ちょうどいい」
途端に、どこやらで、き、き、きいと刎ね釣瓶をあげる音・・・多分若水を汲んでいるのであろう。戸口には、門松青々として、家の栄を慶んでいるかと思われた。それを見てすらも、気が伸び伸びする。
間もまく私は、門川の岸に立った。清冽な流れは、いささかの瀬を作りながら、静かに流れている・・・それも若水!私は、流れを掬(むす)んで嗽(うがい)をした。指先から、ちらちらと白気が立つ・・・顔を洗っていると、血も心も新しくなってくるような心地がする。
しばらく経った。群がり立っていた雲は、いつか、どこへか片付けられてしまって、山の影は際立って黒くなってきた・・・かと思うと、東の空に一抹の紅が動いて・・・動くようにパッと染められて、旭は、赫灼として、悠(ゆるやか)に山の端に昇るのであった。流れの瀬にも、幽(かすか)な紅がちらちらする・・・この新しい光を浴びて、流れは、急に勢いづいた・・・勢いづいたように、その音が高くなったように思われた。
夜の幕はまったく破られて、旧い年はとこしえにこの世から消えて了った。空は、映々(はえばえ)しくなって、燦爛たる初日の光、そこらに輝きわたるかと見れば、
「やあ、今年も好い元日だ!」
とさながら天上から落ちてきたかのよう、天気の和静を神に感謝するような、喜悦と満足との溢れた声がした。
雑煮煮る煙が、村の戸ごとの屋根から朝の煙盛んに登り始めた。
※三島霜川の明治37年の『文芸界』新年号の作品です。幼少期の思い出をエッセイ風に仕上げたものなのでしょう。36年期の諸作品と同様の田園詩的筆致が見られますが、私にとって興味深いのは、歿年不明の“祖母”が登場していること。
この年の同じ1月1日づけで短編作品集『スケッチ』(新聲社)が発行されると同時(2月)に、一つの方向転換を告げる「村の病院」が発表されます。その境目にある小品です。
by kaguragawa | 2013-01-03 07:56 | Trackback | Comments(0)