「どんたく図案社」の雑誌『図案と印刷』   

 竹久夢二の「どんたく図案社」については、知りたいことがたくさんあるのですが、本気に調べることもなく過ごしてきました。が、今日、思いもよらずある情報にであった。『図案と印刷』という「どんたく図案社」で発行する予定だった月刊誌のことである。
 
 「どんたく図案社」の同人は、夢二に加え中沢偉吉、久本信男、恩地孝四郎。顧問に、岡田三郎助、藤島武二。文案顧問に、久米正雄、田中純、吉井勇という陣容で、1923(大12)年5月にスタートし、帝国ホテルで発会式をひらく。いざ、船出!というときに9月1日の大地震となるのだ。で、この『図案と印刷』という雑誌も、本所にあった印刷所が壊滅し、発行されないまま灰燼に帰したと読んだ記憶がある。

 今日、金沢湯涌夢二館の企画展「デザインの先駆者・夢二」で目にしたのは、この雑誌『図案と印刷』そのものではない。この雑誌の広告である。『純正詩社雑誌』第2巻第1号の巻末に、『図案と印刷』六月号の広告が出ていたのである。今になって、その誌面を全部メモしてくればよかったと悔やむのだが、巻頭言を夢二が書いていて、上に書いた同人や顧問も(中沢偉吉、恩地孝四郎、久米正雄、吉井勇の名前は確かにあった)寄稿しているのだ。私が、寄稿者の名前とそれらの人々の記事タイトルもすべてメモすることにまで気がまわらなかったのは、寄稿者名のなかに[織田一磨]と[水島爾保布]の名前をみて、エッと驚いて(大袈裟にいうと)うろたえてしまったからなのです。
(追記:記憶が確かではありませんが、寄稿者に田中恭吉、森口多里の名もあったと思います。)

 なににもまして、この『図案と印刷』六月号――これが創刊号なのかどうかも不明ですが――の明細が記されたこの広告は、もしこの『図案と印刷』が発行されないままに終わったのであれば、とても貴重な資料になると思うのです。

 充分なメモ取りをしてこなかったことに加え、『純正詩社雑誌』第2巻第1号の発行年月日も大正12年という以上にわからないのが残念なのですが、私には、どんたく図案社の共同企画者?であった金谷万寿二の“金谷印刷所”が本所緑町の「三丁目」にあったということがわかっただけでも大きな収穫なのですが・・・。

 (上記の『純正詩社雑誌』が、「第2巻第1号」であることは、企画展の出品リストの記載による。)

〔追記〕
 榎本了壱さんの「幻の「どんたく図案社」」という論考が、『夢二美術館(4)』(学研/1988.5)に載っているようだ。
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by kaguragawa | 2012-12-22 19:39 | Trackback | Comments(0)

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