金沢と豊巻剛(4)   

 ところで、《豊巻剛》の名前「剛」は、どう読むのでしょうか。幸い『石川啄木事典』には、「豊巻剛」の項があり、先に紹介したように、生没年もふくめ豊巻の基本情報が記されているのですが、そこにでは「豊巻剛」を〔とよまき・たけし〕と紹介してあります。

 というわけで、何の疑義もいだかず「たけし」と読んでいたのですが、偶然ある資料を読んでいて、“えっ”と声を挙げてしまいました。そこにはこう書かれていたのです。

 “「小天地」には小学校の先生の小笠原迷宮さん、渋民村の兄の同情者だった畠山亨さん、豊巻剛(つよし)さんそれにその出資者である大信田(おおすだ)落花さんなどがよく集まりました。大信田さんは呉服屋の若主人で二十一二でしたでしょう。痩型の普通のタイプの人で自転車でよくやってみえました。
 兄の「小天地」に対する身の入れ方は大したもので、表紙を自分で考案し、自分で描いてさへいました。”


 「兄」ということばからわかるように、この文は啄木の妹ミツさん(後の三浦光子さん)が書いたもので、『悲しき兄啄木』(1948.1)の一部です。ここには、「剛」に(つよし)と読みがつけられているのです。
 なお、この括弧書きの読みは、このブログでルビがふれないために私がつけたものではなく、この丸括弧も全角の読みもそのまま原文のものです。このことは、この「剛(つよし)」「大信田(おおすだ)」も、編集者が付したものではなく、光子さん自身が原稿にこのように書いたものであることを推測させてくれるのです。実際に、豊巻剛のことを知っている光子さんが、“「剛」は、(たけし)ではなく(つよし)ですよ!”と書いてくれていると考えてよいのではないでしょうか・・・。他の当事者から反論が無い限り最大限に尊重すべき情報だと思えます。

 最後に、『小天地』に掲載された豊巻剛の詩「古障子」を紹介して、この稿を閉じたいと思います。


   古障子

 青すすきしどろの根かた
 木叢なる冷た秋藪、
 山住のけはひ深げに
 ゆくりなく伯父がり寝ねぬ。

 暁の光に酔ひて
 つぶらなる色とろと
 もの欲しげ頭をゆれば
 夢心地消がたのまどに
 おどけたり、法師みみづく、
 山猿に般若、一つ目
 壁のごとなのめに横に
 大口にわれを眺めて、
 唖々として嗤ひて泣ける。

 古障子さてもをかしや、
 節々のつながりは折れて、
 百絡面の煤びに
 膏薬まだらのゆがみ、
 微闇なる廂をもりて、
 ふる筵肩にさげたり。
 さげたるも(心ばかりに)
 空寒の秋さびしぐれ、
 黄朽葉に霜おきそむる
 いぶせげの夜姿のきはに
 藁はとび板戸は落ちて、
 破目の穴の透垣、
 目とひらき口とつのぐみ、
 野衾の黎明告げて、
 はたはたと風には鳴れる。

 (もとよりの心をごりよ)
 そのかみの葉屋の姿、
 木かぐりの深みにいれば
 ほほゑみてわれをやどすに
 わくらばのこれや一夜の
 かりそめのおそれに似たる。
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by kaguragawa | 2012-12-02 13:12 | Trackback | Comments(0)

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