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「雪おろし」と「鰤起こし」(2)   

 三島霜川の初期の作品「雪おろし」から、二か所引用します。“雪おろし”という語が登場する箇所です。(読みやすいように、現代仮名遣いに改めたほか少し表記を変えてあります。)


 “二三日前の夜更け、霙(みぞれ)混じりの暴風雨(あらし)が、戸毎の窓に吹き入ってからである。国境の山の巓(いただき)には雪が来て、寒暖計は恐ろしく下降(くだ)ってしまった。市中ではもう徐々(そろそろ)正月の支度に取りかかっているというに。(中略)
 それは北国の冬にはよく見受けられる、朝から曇った、鬱陶しい空合で。ちょうど正午頃に、ぱらぱらと時雨(しぐれ)て、すぐに霽(あが)って、冷ややかな日光(ひかげ)がうっすりと射して来る……、かと思うとまたたちまち苦り切ったように暗くなって、空には一面に古綿のような雲が漂っている。この国では『ゆきおろし』と名付けられた風が吹きまわって恐ろしく寒い日であった。”

 “お城跡の時鐘は今しがた十一時を打った。雪おろしと名づけられた狂風(あらし)が、一なぐれ、町から町へ吹き廻って、市中の常夜灯が今にも消えそうになっていた。大概の家では、宵の間(くち)から店の戸を閉めてしまって、市(まち)はまるで眠ってでもいるように寂然している。ちょうど乗合の赤馬車が一台、市端の方から破れるような響きを立てて帰って来た頃から、風の歇(や)み間歇み間に、サラサラ、サラサラと軒端に微かな響きがして、見る間に路上は白くなった。雪が来たので。”


 この文中の「雪おろし」は、風そのものである。“あらし”とルビを付された「暴風雨」「狂風」とともに、霜川は「この国では『ゆきおろし』と名付けられた風が吹きまわって恐ろしく寒い日であった。」、「雪おろしと名づけられた狂風が、一なぐれ、町から町へ吹き廻って、市中の常夜灯が今にも消えそうになっていた。」と、吹き廻る風として「ゆきおろし」を描いていて、「風の止み間止み間に、サラサラ、サラサラと軒端に微かな響きがして、見る間に路上は白くなった。雪が来たので。」と続けている。

 雪をもたらす冬の《雷》の別名としての「雪おろし」と、雪をもたらす、あるいは雪交じりの《強風》としての「雪おろし」――。漢字で書き分けるとするなら、前者は、「雪降ろし」であろうし、後者は「雪颪」であろう。が、この季節の雷は、強風をともなうこともあれば、風は、雷をともなうこともあろう。同じ時期の、場合には同時の気象現象として二つの「ゆきおろし」は互通する要素を多くもっているであろうことも推測されるが(というよりは実感だが)、風をともなわない冬の雷があり、雷をともなわない冬の強風もある。冬の雷としての「雪おろし」と、冬の強風としての「雪おろし」は、分けて捉えられるべき事象なのだろうと思う。

 ところで、霜川は、北國の冬ならではの強い廻り風として「ゆきおろし」を文中に紹介し、その作品の表題ともしたのだが、今日でも、富山でこうした冬風の異名として「ゆきおろし」が使われることがあるのだろうか。それと関連して私の頭に浮かぶのは、やはりこの雪国特有の気象事象としての「ごまんざあれ(ご満座荒れ)」である。あるいは「はりせんぼあれ(針歳暮荒れ)」である。どちらも「鰤起こし」の異名として理解されていて、実際そうなのだろうが、字義的にはこちらの方は冬の「荒天」を意味し、必ずしも「冬の雷」だけに限定するものでなく、範囲は少し広いように思われる。
(“空に雷、太鼓をたたきゃ、山はあられに海はぶり”という唄?の文句も思い出したのですが、話が広がりすぎるので、ここらで気象話題は閉じることにしましょう。)

〔追記〕
 私としては、霜川の作品中の《北國》について、書きたいことがあるのですが――この作品「雪おろし」が、作家生活三年目にして初めて舞台を「北國」という文字で明記した作品であり、意外なことに「北國」作品は、霜川の生地にもかかわらず決して多くない――、それは別の大きな課題として、後日。
 そうそう、この「雪おろし」が、「早月川」や「枇杷首(びわくび)」という富山固有の地名を登場させていること――ただし、該当地名と作中の場所は一致しない、つまり地名を借りた形にのみなっていること――や、「雪おろし」が「うたかた」「向日葵」「悪血」などの作品に姿を変えていく経緯や、登場人物「お小夜」がわずかな生活の糧をえるために従事している“花売り”についても、初めての公表作品「埋れ井戸」以降、なんども作品に登場していることも別の機会に・・・。

by kaguragawa | 2012-11-16 22:28 | Trackback | Comments(0)

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