正宗白鳥逝って50年
2012年 10月 28日
この正宗白鳥が、石川啄木と少なからざる交流があったといえば、ちょっと奇異に思われる人があるかもしれません。私の知る限りそうしたことを書き連ねようとも思いましたが、時間もないので啄木が盛岡時代に企画発行した文芸雑誌『小天地』(明治38年9月)に、白鳥が書いた「評論一則」から一節だけを(いかにも白鳥らしい一節を)書き写しておきたいと思います。20代半ばの白鳥の読売新聞記者時代のものです。(白鳥さんの渋い顔を思い浮かべながらも、読みやすいように、少し用字をあらためました。)
“吾人もとよりダンテの想像力の豊富を認め、名文句を綴るの人たるを知れど、彼を神の如く完全無欠なるとするの不道理なるを思う。一体キリスト教も東洋人の目にて観察すると、笑うべき点が少なくないが、洋人の文豪崇拝も同様の感じがする。それをそのまま丸呑みして、信仰するのは、日本の古式のキリスト教徒が西洋の教理信仰箇条に盲従する愚かさと同様である。”
今年は啄木の歿後100年で、白鳥の歿後50年だと言うことは、7歳年長の白鳥が啄木より50年長生きしたことになる。啄木の明治に加えて、戦後に及ぶ大正、昭和の半世紀が白鳥のnüchternな評論の前に横たわっていたことになる。
正宗白鳥 1879.03.03~1962.10.28
石川啄木 1886.02.20~1912.04.13
by kaguragawa | 2012-10-28 18:26 | Trackback | Comments(2)
ご存知と思いますが、白鳥省吾といえば、彼が岩手に行った折、
宮沢賢治が面会謝絶をしたというエピソードが伝えられていますが、
この事も含めて、賢治の年譜をていねいに検証されている方がいます。
http://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku
みちのくの山野草 です。
お時間のあるときにのぞいてみて下さい。(^_-)-☆
ネネムさんのブログデ宇都宮貞子さんの名前を見つけて、とてもなつかしくうれしくなりました。