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正宗白鳥逝って50年   

 気がついたら今日は正宗白鳥の歿後50年にあたる日である。残念なことに、白鳥の作品は“読んだ”と言える実感の伴うものがない。にもかかわらず白鳥の晩年に住んでいた洗足池の高台にある家跡(まだここに正宗家はある)を訪ねたりしたのも霜川ゆえではある。

 この正宗白鳥が、石川啄木と少なからざる交流があったといえば、ちょっと奇異に思われる人があるかもしれません。私の知る限りそうしたことを書き連ねようとも思いましたが、時間もないので啄木が盛岡時代に企画発行した文芸雑誌『小天地』(明治38年9月)に、白鳥が書いた「評論一則」から一節だけを(いかにも白鳥らしい一節を)書き写しておきたいと思います。20代半ばの白鳥の読売新聞記者時代のものです。(白鳥さんの渋い顔を思い浮かべながらも、読みやすいように、少し用字をあらためました。)

 “吾人もとよりダンテの想像力の豊富を認め、名文句を綴るの人たるを知れど、彼を神の如く完全無欠なるとするの不道理なるを思う。一体キリスト教も東洋人の目にて観察すると、笑うべき点が少なくないが、洋人の文豪崇拝も同様の感じがする。それをそのまま丸呑みして、信仰するのは、日本の古式のキリスト教徒が西洋の教理信仰箇条に盲従する愚かさと同様である。” 

 今年は啄木の歿後100年で、白鳥の歿後50年だと言うことは、7歳年長の白鳥が啄木より50年長生きしたことになる。啄木の明治に加えて、戦後に及ぶ大正、昭和の半世紀が白鳥のnüchternな評論の前に横たわっていたことになる。

 正宗白鳥  1879.03.03~1962.10.28
 石川啄木  1886.02.20~1912.04.13

by kaguragawa | 2012-10-28 18:26 | Trackback | Comments(2)

Commented by nenemu8921 at 2012-10-30 18:14
ご無沙汰しています。お元気そうでご活躍なによりと思います。
ご存知と思いますが、白鳥省吾といえば、彼が岩手に行った折、
宮沢賢治が面会謝絶をしたというエピソードが伝えられていますが、
この事も含めて、賢治の年譜をていねいに検証されている方がいます。
http://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku
みちのくの山野草 です。
お時間のあるときにのぞいてみて下さい。(^_-)-☆
Commented by kaguragawa at 2012-10-30 20:33
コメント有り難うございます。白鳥といえば、古代史の「白鳥伝説」の追っかけが、20年ほどまえの私のテーマだったのですが、だいぶ違ったところに踏み迷いこんできました。鈴木さんのブログは、今お寄りしたら、前に加藤完治のことで、「宮沢賢治の里より」の方に書き込みをさせていただいたことがありました。忘れないうちにリンクさせていただきました。
ネネムさんのブログデ宇都宮貞子さんの名前を見つけて、とてもなつかしくうれしくなりました。
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