本位田準一さんのことですが・・・   

Tさんへ

 先日は有り難うございました。私の方は、約束のものをまだお送りしてないのに、野田山の地図をご準備していただいていて、たいへん恐縮しました。

 さて、本位田準一さんのことですが、
 乱歩や横溝正史と親しかった本位田準一さんは、『日本ミステリー事典』などに、きちんと立項されているのではないかと思うのですが、手元にそんな重宝なものはなく、調べていません。
 いずれきちんと調べがつけばあらためてお知らせするとして、私のわかっていることを少し整理して書いておきたいと思います。

 本位田準一さんが正宗白鳥のもとを訪れたのは、博文館の『文芸倶楽部』の編集者としてだったと思いますが、のちに同社の『新青年』の編集長もしていたようです。この辺りのことは後日おさらいするとして、この方の珍しい姓《本位田》の読みは、「ホンイデン」しかないのでは・・・と思います。

 なお、本位田という名は、今で原作自体はあまり読まれなくなった吉川英治の『宮本武蔵』(朝日新聞に連載/1935.08.23~1939.07.11)に、武蔵の愚友《本位田又八》――こう書くとわかりにくいかと思いますが「又八・お通」の又八です――として登場し、その時点では少し知られるようになったようです。この「本位田又八」は、創作人物か実在の人物か私には確かめようがないのですが、実在の本位田姓の人は、準一さんのほかにも結構います。その一人が、先日お話しした東京帝国大学経済学部教授でヨーロッパ経済史の大家で後に大政翼賛会の重要なしごとをした《本位田祥男(ほんいでん・よしお)》氏です。
 新聞連載時から熱狂的に読まれたこの剣豪小説のおかげで、同姓の「又八」が有名になった本位田祥男氏は、「学生に又八呼ばわりされて困っている」「自分の先祖に又八などという者はいない」と新聞に書いて、話題になったそうです。
(私の方は、氏も関わることになった《平賀粛学〔1938〕》や、大塚史学をその逆子として生み出した学統としての本位田祥男氏の関連エピソードとして知った程度ですので、その後、このクレームがどうなったかはわかりません。)
 そもそも吉川英治が『宮本武蔵』に、本位田又八という“本位田”姓の人物を登場させたのは、『文芸倶楽部』連載の『続鳴門秘帖』を担当していた本位田準一の姓――この姓が宮本武蔵の生地近くに発祥地をもつ――から実在の人物・本位田外記を想起し、そこからその子“又八”の人物造形をするという経緯をたどったのでは・・・と思うのですがどうなのでしょう。
(ちなみに、横溝正史の“金田一もの”の前作にあたる「車井戸はなぜ軋る」に本位田鶴代とその一家がでてきますが、これも知人の風変わりな姓を借りたのではないでしょうか。)

 net上の情報によると、《本位田(ほんいでん)姓》は、“現兵庫県南西部である播磨国佐用郡本位田村が起源(ルーツ)である、村上天皇の皇子具平親王の子師房にはじまる源氏(村上源氏)赤松氏流がある。現東京都、埼玉県広域、神奈川県北部である武蔵等にもみられる。”とあります。村上源氏云々は私には調べようもありませんが、兵庫県から岡山県にルーツを持つ姓のようです。
 正宗白鳥さんは、初対面の折に本位田準一さんに「あなたも岡山のご出身ですか、それとも兵庫?」と、あの渋い顔で聞いたやも知れぬな・・・と勝手な想像をしています。

 以上、思いつくままに書きました。事実の確認はこれからです。そうしたものとして読み・教えてください。
 では。

〔追記〕
 今改めてnetで調べましたら、本位田祥男さんは「1892年:岡山県英田郡生まれ。宮本(新免)武蔵の縁戚。」(はてなキーワード )とあり、戸惑っています。本位田祥男大先生は、“剣聖・宮本武蔵の縁続きではあるが、又八ごとき者の子孫ではない”と言うことをおっしゃりたかったのでしょうか。(※当時の岡山県英田郡(あいだぐん)は、旧・本位田村を含む兵庫県佐用郡の北西に位置する)
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by kaguragawa | 2012-07-23 20:47 | Trackback | Comments(0)

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