おとぎ歌劇「ドンブラコ」を、聴く   

 アンサンブル・フィオレッティ2012年富山公演《家族で楽しむファンタジー おとぎ歌劇「ドンブラコ」》を、聴く機会に恵まれた。

 この曲を聞くのは2度目である。復活上演時の富山での演奏に続いて、今回は新湊で聴くことができた。そして2度とも――しいて言えば、前回は音楽として、今回は物語として――大いに愉しんだ。そして、物語として聴けた今回は、驚きもかなり大きかった。ひと言で言えば、これが、明治の音楽劇だろうか・・・という驚きである。その辺りのことを少し書いてみる。
 桃太郎の鬼退治をテーマにした子ども向けのオペレッタ――といえば、誰しも鬼のテーマに俗悪なものを予想するだろう。鬼は退治されるべき悪役である。だが、この「ドンブラコ」では、鬼の登場は恐怖に満ちたものではなく、俗悪なものでもなく、鬼たちの祈りのコラールである。そして鬼との闘いは音楽ではない。語りである。かのベートーヴェンでさえ戦闘のドンパチを擬音を使ってまで醜悪で下俗な戦闘音楽で書くしかなかったのに、笑みを誘うていの巧みな語りが、桃太郎軍の鬼軍への勝利を告げ、 “敵も味方も今は互いに打ち解け和気あいあいたり。鬼どもまず「鬼の合唱」を演じ、犬猿雉、これに応えてまた合唱す。”と和解を告げる。  
 桃太郎を描いたこの音楽「ドンブラコ」は、血なまぐさい戦の音楽ではなく、平和な、私には、
“非戦”の音楽として聞こえてきたのである。

 宇野功芳さんの曲を知りつくした指揮は、アンサンブル・フィオレッティの独唱・合唱と伴奏の村田智佳子さんのピアノを豊かに響かせ、この曲の表現の極致に導いてくれるもの。

 なお曲のエンディングは、君が代である。初めて聞いた時も驚いたが、今回も驚いた。といっても勝ち誇った凱旋の君が代でもなければ、厳粛な謹聴を求めるものでもない。この曲全体に使われている多くの古謡やわらべ歌と同じ、ごく自然な美しい歌である。 

 北村季晴という明治の作曲家の、ちょうど100年前に初演されたこの子どものための音楽「ドンブラコ」は、まさに時代を越えて何かを語りかける魅力あふれる曲として現代の私達に手渡されたのである。
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by kaguragawa | 2012-07-16 20:31 | Trackback | Comments(2)

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Commented by trefoglinefan at 2012-07-17 13:35 x
かぐら川さん、前回引き続きのご来場、誠にありがとうございました。
実は主催者の私が驚いているくらいです。ですからご来場頂いた方々は、もっと驚いておられるのではないでしょうか。
今回は前座が変わりました。前回は明治から大正にかけての雰囲気を出すもので考えましたが、今回は時代背景を無視して、幻想的な雰囲気づくりをするつもりで曲目を選定しました。
ですから、「ドンブラコ」自体がも別物になったのかも知れません。
これで富山が最後になるのは、何だか惜しい気がいたします。
Commented by kaguragawa at 2012-07-17 22:52
中川さん、コメント有り難うございます。演奏会の環境と内容が変わったということだけでなく、繰り返される練習にしたがって演奏者の心のなかで、「ドンブラコ」が、洗い直されかつ育ってきたということも大きいのだろうと思います。しかし、私にとっては私自身の変化がとりわけ大きいと思っています。この復活上演以来の3年に合わせるように、明治中期から末期の「初期社会主義」「渡良瀬・谷中問題」そして「大逆事件」が私の心の中で占める位置が大きくなったことがあります。ここに挙げた問題群から見ると「ドンブラコ」はとても大きな問題提起をしているように思えてなりません。

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