霜川と斎藤佐次郎の出会い(2)   

 今私の手元に『行事概要 昭和三十九年八月 三島霜川顕彰会』とのみ記された資料の写しがあります。この“行事”とは、三島霜川の没後30年の年〔1964(昭39)年〕に、霜川の生地――当時の富山県東礪波郡中田町(現高岡市)――でおこなわれた「追悼法要」「記念講演」「石碑建立」「記念誌刊行」の一連の行事を総括するものですが、この『行事概要』は顕彰会の内部資料のようで、予算の収入支出の状況、「名誉会員」「特別会員」「正会員」の会員名も記載されている貴重な資料です。

 ところで、ほとんどが地元の名士だと思われる「名誉会員」6名の中に、おそらく唯一異例な人物として“斎藤佐次郎”さんの名が見られます。1964(昭39)年当時、この霜川顕彰の動きを呼び起こした張本人・水守亀之助さんは6年前に亡くなっていますから、文人霜川に関わった人物としては斎藤さんだけがここに名を連ねることになったのでしょう。
 といっても、遺族の方、なかでも霜川のチカ夫人と長男で作家の正六さんが存命だったとはいえ、作家霜川のことについて誰もが確かな情報を持たず暗中模索だった当時になぜ、《斎藤佐次郎》さんの名が出てきたのか――水守さんの回想記「三島霜川を語る」に“斎藤佐次郎”は登場しません――、私にはとても興味があるのですが、確かことはわかりません。(追記:おそらくチカ夫人から地元での霜川顕彰の動きを耳にせられた斎藤さんが、なにがしかの申し出をされたものと思います。)

 実は、今回、斎藤佐次郎さんの遺著『児童文学史』のことを知るにいたったのは、今まで何回となく目をとおしていたこの昭和三十九年の「行事概要」中に、気づかずにいた「斎藤佐次郎」名を見つけて、自分の不注意な見過ごしを恥じながら、あらためてnet上で検索したことによるのです。

〔追記:1〕
 些細なことながら以上のようなことが確認できたので、『斎藤佐次郎・児童文学史』に詳細な注を付けられている宮崎芳彦さんにお知らせしようと思ったのですが、宮﨑先生は3年前にお亡くなりになっておられる由。
[宮崎芳彦:1941年12月福岡市生まれ。立教大学日本文学科卒。(株)ほるぷ出版編集部勤務の後、白百合女子大学児童文化学科教授。2004年に退職。日本ペンクラブ会員、日本児童文学学会会員。2009年4月没。]
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by kaguragawa | 2012-07-09 19:51 | Trackback | Comments(0)

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