ちょっと独り言   

 ルソーの音楽作品について書いたおかげで?、9年ほど前の賢治に関する文章まで引っぱりだしてしまい、少しく後悔しています。しかしどうしても賢治と小野浩の交点について、ひと言いっておくべきと思うことがあったのです。
 それにしても霜川を追いかけるなかでようやく見えてきた維新以来の「明治」という時代が、「大正」に変るあたりから私には、かつて親しんだ賢治の時代として決してなじみのない時代ではないにもかかわらず、その全体像も細部も、混沌として見え難いものになってきます。

 この時代の見えにくさ、否応なく新たな選択を迫られている現在となにか、――1911年・2011年の100年という時代差を交えかつ飛び越えて、――符合しあっているようにも思えてきます。

 私は、まだまだ明治という時代にとどまって見据えたいものがあるのですが、あらためて賢治や夢二の時代にも、そして目の前の時代にも、手探りで、そう言う意味では、確かな手ざわりを大事にしながら冒険ごころをもって臨んでいきたいと思っています。年齢相応の足許の覚束なさを自覚しつつですが・・・。

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by kaguragawa | 2012-01-22 23:40 | Trackback | Comments(0)

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